ヒップホップとカラリズムと類似性。Tinasheとエミネムのインタビューから色々考えてみる。

 

 

ブラックミュージック

というと、どのような音楽を思い浮かべるだろうか?黒人文化として繁栄してきた ジャズ、ファンク、ヒップホップ、ソウル、R&B、ロックンロールなどのジャンルを思い浮かべるだろう。このように現代の音楽に多大な影響を与えた音楽はブラックカルチャーから来ているものが圧倒的に多いと感じる。最初は小さい範囲で始まったそのようなカルチャーが、徐々に世界広まっていったのだ。

ヒップホップのはじまり〜グランドマスター・フラッシュとターンテーブルの奇跡の出会い

世界に広がったカルチャーに思いを馳せながら、人種的なことを調べているうちに興味深いインタビューが出てきたので紹介をしたい。それは人気若手シンガーTinashe(ティナーシェ)がGQとやったインタビューである。このインタビューにて彼女のこの発言が印象的だった。

 

Tinashe:業界には、同じようなスタイルを持った男性ラッパーは何百人もいる。でも黒人女性アーティストだと、ビヨンセかリアーナのどちらかと比べられたり、同じだと言われる。とても変なことだと思う。Ciaraも同じような壁に当たったらしい。Ciaraもビヨンセもリアーナも皆素晴らしいアーティストだし、全員全然違うスタイルなのに!

 

この発言から連想されていったことをこの記事では書いていきたい。いつものような明確なオチがあるわけではないが、感じたことを書いていこうと思う。まずこの発言を見て私は「なるほどなぁ。そういう風潮もあるのかもしれない」と感じた。確かにファンはアーティスト同士を比べるのが好きである。さらに「同じようなスタイルを持った男性ラッパーは何百人いる」という箇所にもある意味同意をする。

90sには「同じようなスタイルをやる」ことは、「スタイルをバイト」しているとされており、それが原因でビーフにもなっているケースも少なくない。しかし近年では「同じようなスタイルの流れに乗る」ということを当たり前にやるラッパーが増えており、文化とアーティストの意識的な変化を見ることもできる。例えば今ではトラップビートの上で、3連符のフローでラップをすることが「当たり前」とされている。しかしそれがスタンダードと化しているからか、それをやったからといって「全員Migosとかフューチャーのパクりじゃん」とは言われないのだ(と感じる)。個人的に好きか嫌いかはおいておき、実際にそのような流れがあるのは事実であると感じる。

この辺についてはスヌープが語っているので、是非チェックしていただきたい。

【Uncle Snoop】スヌープ・ドッグ「近年のラッパーは皆同じようにラップする」。ラップゲームで生き残る方法とは?

このような業界/ファンに許されている現実がありながら、TinasheやCiaraなどのアーティストはビヨンセやリアーナに比べられているのだ。それは単純に表立って出てくるアーティストの数の違いなのだろうか?それであればなおさらその数少ないアーティストの個性を尊重をする必要があると感じる。こちらのヒップホップサイトのフォーラムでは「単純にTinasheが自分のスタイルと大ヒット曲がないからでしょ」と言われてしまっているが、単純にコンテンツのクオリティ/セールスの違いなのだろうか?過去の黒人女性シンガーたちはアレサ・フランクリンなどに比べられたのだろうか?こちらに関しては今後また調べたいと感じる。

 

白人ラッパーの場合はどうだろうか?

上記の女性シンガーの場合と共通点が見えてくる。白人ラッパーがデビューする度に、ほぼ100%の可能性で「エミネム」と比べられるのだ。80s後半90sだとバニラアイス、2000年代だとエミネム、2010年代だとエミネムとマックルモアであろう。例えばG-Eazyが「エミネムと比べるのやめてほしい」と語っている動画もあり、違うラップスタイルを持っている2人でさえ、「白人だから」という理由で比べられるのである。2000年代にはアジア人ラッパーが全員「MC Jin」に比べられていたのを思い出す。これはよくよく考えると、ラップしている人全員を「Melle MelやGrandmaster Cazじゃん!」と言ってしまうのと同じことなのかもしれない。

「俺に人種というものを突きつけてくる人には容赦をしない。俺がつくってるのは「音楽」であって、俺がどのような見た目かはラップスキルには関係ないはずだ。デトロイトの貧民街で育った経験を皆と同じように音楽にしているだけだ。」

エミネムはデビュー直前のインタビューにてこのように語っている。このインタビューやマックルモアについては下記の記事で書いたので是非読んで頂きたい。

マックルモアが2ndアルバムをグラミー選考から外した理由。人種とヒップホップから考える彼の作品

 

マイノリティから発生した文化のなかのマイノリティ

この「女性黒人シンガー」と「白人ラッパー」が他のアーティストにすぐに比べられてしまうという件について、思いついた原因の一つとして出てきたのが、上記のフレーズである。「マイノリティからできた文化のなかのマイノリティ」。一定のマイノリティが文化の元となるようなものを作り上げ、それが世界中に広がり、メジャーになったときに起こる現象だと感じる。仲間意識が強いからか、その業界内で「参考となる母数が少ない」という理由で比べられるのかもしれない。Tinasheも「音楽業界にはとても女性が少ない。レコーディングのためにスタジオにいたとしても、男性ばかりだ」と語っており、マイノリティであるからこそ比べられるということが見受けられる。業界の体質に本質的な原因があるのかもしれないと感じるヒントとなった。

 

ここで思い出したのはLord Jamarのとある発言だ。彼は下記の動画にてこのように発言をしている。

ヒップホップ文化が”家”だとしたら、黒人が家主であり、白人は招待されてる”ゲスト”だ。だから勝手に家に入ってきて、内装とかを変えたりするな。勝手にヒップホップに入ってきて変なことをするな。

 

この発言は様々な議論を巻き起こし、様々なラッパーたちが賛成/反対をしたが、「マイノリティから発生した文化のなかのマイノリティ」という存在の雰囲気がつかめる発言である。この発言についてはまた別で記事を書きたいと感じる。

実際には何が正しくて、何が間違えているのかはわからない。しかし考えた結果、私が言えることは、「マイノリティはいつの時代も、どの業界でも比べられがち」ということだ。そのマイノリティがマイノリティじゃなくなるような活動が大切なのか、むしろ「アート」の場合はマイノリティであるからこそ出てくるアートがあるのか…考え始めると「場合と人による」しか答えのないスパイラルに入ってしまいそうな質問である。

しかし一つ確実に言えることは、「アーティスト」であるならば、どんな立場だったとしても、思いっきり、他人の目を気にせずに、自分が最高だと思う「表現」をし続けてほしい、ということである。

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