Nasが「大ヒットスター」になる上で重要な役割を担った人材。「二枚目のジンクス」を破ったチームから学べること

 

 

インスタント・クラシック

と呼ばれるアルバムが世の中には存在する。以前Futureの「一日で理解できる作品はクラシックではない」という発言を記事として紹介した。それは個人的にも同感であり、「クラシック」となる作品は何十年後、何百年後も人々のDNAに刻まれるものであると感じる。しかしリリースされた瞬間に「これはクラシックになるでしょ」と理解できるアルバムも世の中には存在すると思うのだ。近年だとケンドリックのTPABは聞いた時にそうなると感じた。

Futureが音楽キャリアを長続きさせる方法を語る。「クラシック」であることの意味とは?

 

そんなインスタント・クラシックを出したアーティストはその功績を讃えられるが、実際にはそれがプレッシャーとなる場合もある。そしてそのプレッシャーが一番大きいのが「デビュー・アルバムがインスタントクラシック」であった場合であろう。次の作品たいする大きすぎる期待と、その期待に沿えなかったら世間から見放される可能性があるというプレッシャーがある。

その観点で言うと、Nasの「Illmatic」がいい例だと感じる。私はリアルタイムで「Illmatic」のリリースを見ていないので、実際にはその時の肌感覚がわからないのだが、「Illmatic」をリリースした彼は相当なプレッシャーを感じていたようだ。「Illmatic」はヒップホップ史上最も偉大なアルバムのうちの一枚であるが、当時チャートではあまり成績が良くなかったのだ。しかし彼は2ndアルバム「It Was Written」にてビルボード1位デビューを飾り、1stアルバムにてクラシックをリリースした上で、彼は2ndアルバムでキャリア史上最も数字的に成功したアルバムをリリースしている。もちろん「Illmatic」のほうがいいアルバムだと言う方も多いと思うが、「It Was Written」の功績は無視はできない。

実はこのアルバムの裏には、Nasのキャリアにて非常な重要な役割を担う人物の存在があったのだ。それは当時の彼のマネージャーのSteve Stouteであった。今では起業家としても有名である彼だが、当時Nasのマネージャーに就任したときは、プロデューサーのマネージングをしており、知名度も低かったとNasによって語られている。そんな彼が「It Was Written」を作るためにやった活動をComplexのメイキング記事を元に簡単に紹介したい。

 

Nas:Illmaticをリリースした後、多くの人が俺のラップスタイルから影響されているのに気がついた。だから俺は次のアルバムでは1000レベルぐらい上げていかないと駄目だと感じたんだ。「2枚目のジンクス」ってのがあって、1枚目にクラシックをつくると2枚目で失敗する可能もあった。

でも俺は怠けてたんだ。そのときにSteve Stouteに「世界中がお前の2ndアルバムを待っている。Illmaticはラップアルバムとしては最高だったが、チャートの成績はあまり良くなかった。当時はまだIllmaticがリリースされるのを待っている人がいなかったんだ。でも今は違う。Illmaticをリリースした後、世界中がお前の2ndアルバムを待っている。真剣にやろう」って言われたんだ。

 

Nasが怠けていたところマネージャーのSteve Stouteが彼を奮闘させたのだ。Steve StouteはNasを「一般的な大スター」にした実績を持っている人間である。もしIllmaticのあと、そのまま同じ方針で活動していたら、Nasはヒップホップ業界に留まったレジェンドとして、Kool G Rapのような立場になっていただろう。もちろんそれもヒップホップにとっては素晴らしいことであるが、Steveは「NasをKool G Rapみたいな存在ではなく、一般的にも売れるスターにしたかった」と語っており、Nasの世間的な大ブレイクの裏には彼の想いがあったことも伝わってくる。

そんな彼はNasとTrackmastersを繋げることにしたのだ。TrackmastersはそれまでにはMary J. BligeのHappyやNotorious B.I.G.のJuicyをプロデュースしており、ポップスとヒップホップのクロスオーバーとなる曲をプロデュースしてきた実績があった。しかし彼らはそのような巨大ヒットレコードだけではなく、Big Daddy Kane、LL Cool J、Kool Moe Deeなどの曲も担当をしたことがあり、彼らの「ヒットレコード」と「ストリートなヒップホップ」のバランス感覚をSteveは信じていたのだ。Trackmastersはこのように語っている。

 

Trackmasters:俺らはNasをプロデュースするということが決まったときに、多くの批判を受けた。でも俺らはその批判を全て無視した。当時は「セルアウト」というレッテルを貼られると、キャリアの終わりを意味した。俺らはNasに彼のヒップホップファンからの「信頼性」を失ってほしくなかったんだ。だから俺らはラジオも、フッドもどちらも理解できるような音楽を作ることに拘っていた。

 

TrackmastersもNasをプロデュースするプレッシャーを感じていたのだ。今聞くと、「It Was Written」や他のTrackmastersの曲は「一般受け」を狙っているように聞こえないが、当時だとまたその感覚が違ったのだろう。TrackmastersはNasのヒップホップ界での「クレディビリティ」を保ちながら、ラジオで大ヒットさせるために工夫をしたのだ。

SteveはNasはブレイクアウト・スターにするために、Trackmastersのプロデュースでいくことを決めたが、彼は常に緊張していたと語る。特にQTipの発言が効いたと語っている。

 

Steve:俺らがマスタリングしてたときに、QTipがこう言ってきたんだ。「本当にこれで良いのか?お前らはNasのキャリアを殺しているぞ。」俺は常に緊張していた。でも彼はIt Was Writtenでプロデュースしていなかった。Nasはアーティストのためのアーティストになっていた。俺は彼をそのままKool G Rapのような、「アーティストのためのアーティスト」で終わらせたくなかったんだ。実際にラジオヒットと、アーティスティックなクリエイティビティをすり合わせるのは非常に難しい。

 

特にQTipは「If I Ruled the World」をリリースすることに疑問を持っていたらしく、正直Nasのチームが自分たちを信じてこの名曲をリリースしてくれたことに感謝したい。

さらにNasの「It Was Written」を実現するために、25歳のマネージャーSteveがやったことはTrackmastersを繋げるだけではない。彼は自分のマーケティングのセンスを発揮し、今まで誰もやっていない「地道」なプロモーションをしていったのだ。彼のグラウンドアップの施策と気合いがこのアルバムにて重要な要素となった。

 

Steve:俺は当時25歳で、このアルバムに注目を集めるための施策を考えていた。このときに俺は自分がマーケティングの才能があることに気がついた。俺が最初にやったことは、アルバムが「It Was Written」というタイトルだったから、ノートブックを作ったんだ。リリース日が書いてあるノートブックだ。そのノートブックを様々な人に渡して、アルバムのリリース日の認知度を上げた。これは誰もやっていなかったし、イノベーティブだった。

さらに、俺らは独自の「駐車禁止チケット」を作ったんだ。NYの駐車禁止チケットをコピーして、裏面に「It Was Written」のリリース日を書いたオリジナルの「駐車禁止チケット」を作った。そして街にある車に貼っていったんだ。貼られた人々は「え、駐禁とられた!?」と思うけど、裏面を見るとただのNasのアルバムのチラシなんだ(笑)

 

彼は「アナログな世界」でどのようにして人々の注目を集めたかを語った。実際に現代は人々の興味スパンも変わってきているので、この施策をそもそも広めるのに苦労はしそうであるが、彼の施策は時代にあっており、Nasのフォロワーが多いNYにて地域に集中した施策をうったのだ。これはある意味Jay-Zの「Reasonable Doubt」にも共通する施策であると感じる。

しかしこの事例から学べることは、それ以外にもある。それはSteveの行動力と真摯さである。実際には「1stがクラシックだったから、2ndで失敗するのはしょうがない」という言い訳を言える立場であったかもしれないが、彼は「二枚目のジンクス」に甘えずに、全力で成功させるために行動を起こしていったのだ。実際には「効果はでないかも知れない…」というプレッシャーもありながらも、彼は全力で行動をしたのだ。恐らく街を駆け巡る彼にたいして「あんな必死になっちゃってダサい(笑)」と感じる知り合いや業界人もいただろう。しかし彼とTrackmastersはそのような外部の声を全て無視し、自分が正しいと感じることを貫いたのだろう。その結果、たしかにIllmaticほど作品として評価されていないかもしれないが、Nasのキャリア史上最も売れた作品ができあがったのだ。

Nasは実際に最初のほうがTrackmastersのトラックに疑問を持っていたらしく、最初に「If I Ruled the World」のビートを聞いて、あまり乗り気ではなかったと語っている。そこで Trackmastersは最初にストリートなビートを聞かせ、徐々にライトなレコードも聞かせるようにしたのだ。本当はこの曲と引き換えに、NasはLauryn Hillの名ソロアルバム「The Miseducation of Lauryn Hill」に参加するはずだったが、当時「色々あった」ため、参加できなかったらしい。NasはLauryn Hillのアルバムに参加しなかったことが、キャリアのなかで最も後悔していることだと語っている。

作品が成功したとき、もちろんそのフロントマンとプロデューサーは注目されるが、実際にはその裏にも様々なストーリーがあるのだ。そんなストーリーやステークホルダーひとりひとりの「想い」から学べることも多い。Steve StouteはNasのマネージャーとして、彼をブレイクアウト・スターにするために、自分で考え、彼のキャリアにおいて非常に重要な役割を担った。これはTech N9neのキャリアにおける、Travisの役割にも近いと感じる。自分のアーティスト性を信じて、それに時間を投資するような形で全力で応援/行動してくれる人材の貴重さ、大切さを教えてもらえるエピソードである。

インディペンデントの王者、Tech N9neのレーベル「Strange Music」の事例。CEOから学ぶ③つのこと。

 

いいね!して、ちょっと「濃い」
ヒップホップ記事をチェック!