Missy Elliott「床に寝てた日々を思い出す」Timbalandと乗り越えた日々を語る。

 

 

アーティストのカムアップ

はPlayatunerで頻繁に取り上げているトピックである。メディアはどうしてもアーティストが輝いている瞬間ばかりに注目しがちであるが、カムアップのエピソードを見ることにより、自分の人生に有効な情報を集めることができる。そして先日のJay-Zの記事のように、それを元に自分の人生を分析することにより、今後の生き方のヒントを得ることができるのだ。

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今まではMobb Deep、DJ Khaled、Flying Lotus、Masta Killaなどの「グラインド」を紹介してきたが、今回はMissy Elliott(ミッシー・エリオット)の「グラインド」を紹介したい。偉大な女性ラッパー/プロデューサーとして、そしてイノベーターとしてヒップホップに大きな功績を残した彼女であるが、この一つのツイートが目立った。

 

Missy:私とTimbalandは何度も床で寝たし、カップラーメンをシェアしながら食べていた。そんな環境でずっとビートを作ったり、ライムを書いたりしていた。大変だったけど、私たちは諦めなかった。

 

Missy Elliottの生い立ちやカムアップを知っている人であれば、この短いツイートにどれほどの意味があるかを知っているだろう。彼女は小さい頃から従兄弟に虐待されていたり、父親が母親を虐待していた環境で育った。母親と一緒に17歳のときに父親の元から逃げ、その後Fayze(後のSista)を組むことになる。昔からの友達であったTimbalandをプロデューサーとして迎え、1990年代初頭に本格的に活動をし始めたのである。その頃からJodeciのDeVante Swingに出会い、NYに引っ越したのである。

そして恐らくこのツイートは彼女らが所属していたSwing Mobと脱退後の数年間の話であろう。Swing Mobは20人メンバーいたのだが、NYにある2階建ての家に20人全員が住んでいたのである。これからカムアップしていくアーティストたちでシェアハウスをしており、全員で苦楽をともにしたのである。その中でも、最も共有したのがMissyとTimbalandだ。Swing Mobから脱退した後も、2人はプロダクションチームとしてキャリアのブレイクアウトとなるAaliyah(アリーヤ)の「One in a Million」をプロデュースすることになる。2人で乗り越え、掴んだ栄光であった。

このツイートだけでも彼女たちが過ごしてきた「がむしゃらさ」が伝わってくるが、リプライ欄を見ていたら興味深い人物がリプライをしていた。そこには2人を祝うかのようにP-Funk総帥のジョージ・クリントンがこのようにリプライしていた。

ジョージ・クリントンから💯をもらえるように、「グラインド」をしていきたいものだ。

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