Wu-Tang Clanで最初にソロデビューするのは本来Method ManではなくODBのはずだった!?ODBが第一弾ソロデビューを失敗した理由
グループとしても、ソロとしても
素晴らしいキャリアを積んだラッパー集団といえば誰を思い浮かべるだろうか?やはり一人ひとりのインパクトという意味でもWu-Tang Clanはピカイチであろう。グループとしても一つの時代を作り、そして次々にソロデビューをしていったメンバーたちはラップゲームを牽引するリリシストとして活躍した。彼らが先日リリースしたアルバム「The Saga Continues」も素晴らしいので、是非チェックしていただきたい。
そんな彼らのブレイクアウト・スターと言ったらMethod Manであろう。彼はヒップホップファンだけではなく、一般的にも知られるようなスターとなり、音楽に留まらずに映画などでも活躍した。彼の熱意はWu-Tangのなかでピカイチだったらしく、非常に真面目に仕事をしていたのだ。そのような理由もあって一番若いメンバーにも関わらず、Wu-Tangのデビュー・アルバムでは既に「Method Man」というソロ曲があったわけであるが、実はOl’ Dirty Bastard(ODB)のほうが先にソロデビューは決まっていたらしい。しかしODBはとあることで、ソロデビューを遅らせてしまったのだ。
その理由について、VicelandのエピソードでMethod Manが語っているので紹介したい。こちらの動画にて、Method Manはその事実について語っている。
実はODBが先に決まっていたが、ODBはアルバムを完成させることができなかったのだ。ODBはElektra Recordsからもらった前金を持って、「クソみたいな車を買った」と語っている。赤いボロい車だったが、ODBはその車を愛していたらしい。スピーカーが車よりも高いというような状態であり、ハンドルが常に曲がっているので車を真っ直ぐに運転するのに、神経を使う必要があったとMethod Manは語っている。
このようにODBは、レーベルから貰った前金をオンボロの車に使ってしまったため、アルバムを完成させることができなかったのだ。非常にODBらしいエピソードであると少し笑ってしまったが、このようにしてMethod Manが第一弾ソロ・デビューを果たしたのだ。以前「作品を失っても前に進み続けたWu-Tangの心」という記事でも書いたが、Method Manは洪水で音源を失っても、ツアー中に何度もメンバーの元を離れ、ソロアルバムのレコーディングをし続けたのである。彼の仕事にたいする熱意とODBの車によって、ブレイクアウト・ソロデビューをすることができたのだ。
Wu-Tangが来日したときの様子をおさめたドキュメンタリーでも、Method Manと他のメンバーが口論になっている映像が紹介されている。Methばかり注目を浴びているのが気に入らないため、インタビュー中に茶々を入れてきた他のメンバーに対して、「ツアー中のインタビューとかでも、てめぇらが寝てる間に俺は一人でインタビューに行ってんだよ!俺はちゃんと仕事をしているんだ。」と怒っている。彼の音楽に対する熱意が彼をここまでのスターにしたのだろう。
いいね!して、ちょっと「濃い」
ヒップホップ記事をチェック!