【インタビュー】難解なラップフローの第一人者ファロア・モンチとヒップホップの現状。Playatuner限定質問あり!

 

 

難解なラップフロー

といえばどんなラッパーを思い浮かべるだろうか?タリブ・クウェリ、Nas、WCなどを思い浮かべると思うが、やはりPharoahe Monch(ファロア・モンチ)の存在は外せないだろう。彼はクイーンズ出身のラッパーであり、1991年にOrganized Konfusionとしてデビューを果たした。彼らのラップスタイルはフローが複雑であり、難解なラップの第一人者と言っても過言ではないだろう(上記のOh Noのファロアヴァースがお気に入りである)。

90年代後期の”最重要”ヒップホップ・レーベル&ブランド=RAWKUSからリリースされたシングル『Simon Says(サイモン・セズ)』(映画『ゴジラ』サントラをサンプリングした楽曲)はヒップホップ・クラシックとして爆発的なクラブ・ヒットとなり、ソロアーティストとしてのPharoahe Monchの名を世へ轟かせた。そんな難解なラップで知られ、90sから活躍してきた彼であるが、7月29日に渋谷Sound Museum VisionのClassicsにて来日公演を行う。

来日に伴い、彼にメールインタビューを実行させて頂いたので、是非読んで頂きたい。以前Playatunerにて「ヒップホップはリリカルであるべきなのか?」という記事で、ファロア・モンチについて書いた。現代のラッパーたちは「マンブル」などと批判されているが、逆にファロア・モンチのような難解なラップがデビューしたときはどうだったのだろうか?という内容の記事であったが、この辺も含め、ファロア・モンチ本人にメールでPlayatunerエクスクルーシブ質問を聞くことができた。

 

Pharoahe Monch Interview


 

➖ 音楽やヒップホップの世界に入ったきっかけを教えてください。

P:俺は常に音楽を愛していた。赤子のときから家で音楽を聞いていたのを覚えている。父のポーカー試合で踊ったり歌ったりして大人たちからお金をもらっていたよ。ジャクソン5、レッド・ツェッペリン、アレサ・フランクリンは俺の幼少期の一部だった。でもヒップホップが全てを変えたし、文化だった。アート的にも、社会的にも押さえつけられた人たちのための文化だった。俺はとにかくその一部にならないといけないと感じた。父親に「Organized Konfusionの一員なっていいか?」と聞いたとき、彼は俺の目に「信念」を感じたんだ。彼は了承をしてくれて、「365日だけ時間をやる。もしそれで無理だったら大学にいけ」と言ったんだ。親は俺のことを信じてくれた。思い出しながら涙が出てくる。心の底からヒップホップを愛している。

 

➖ NYクイーンズの伝説「Organized Konfusion」はヒップホップに多大な影響を与えました。Prince Poetryとの出会いについて教えてください。

P:俺はPrinceとはフッドで出会ったんだ。彼は背が高いアスレチックなやつで、バスケットボールをやってたよ。俺もバスケ、フットボール、野球をやってて、アートスクールに一緒に通ってたんだ。そこで俺の表現することに対しての愛が育ったんだ。俺のなかでカルチャーのために何かをしたいという精神的な欲求が出てきたんだ。そこで俺はビートボクシングをはじめて、ビールと喘息の薬で膨れ上がってたから「The Human Mailbox」という名前で活動していた。酷い名前だけど、俺は結構上手かったんだ。でも最初のテープを作ったとき、俺のビートボックスがとても古臭くワックなものに聞こえたんだよな。だからそこで自分のリリックを書き始めた。カルチャーに新しいアイディアを植え付けたいと考えてたから、ユニークな声を色々試した。

 

➖ このコンプレックスで難解なリリック/フローのスタイルはどのようにして自分のものにしたのですか?

P:俺はT-La Rock、Koole Moe Dee、Melle Mell、Cold Crushが好きだったんだ。だからそのパターンを次のレベルに昇華したんだ。限界に挑戦したかった。

 

➖ あなたのフローはジャズからの影響が大きいと感じるのですが、どうでしょうか?ラキムのフローがジョン・コルトレーンのリズム・パターンを再現しようとした結果だという話は有名ですが、これはあなたのスタイルにも関係してきますか?

P:コルトレーンはアートの支配者だ。コルトレーンはアートであり、音楽の魂だ。俺はそれが欲しかったし、それが音楽の寿命を延ばすものだ。その領域に達するのはとても珍しく、難しいが、いつもトライをしている。自分のおかげでもあるし、ニーナ・シモンのようなアーティストのおかげでもある。そしてコルトレーンのおかげでもある。

 

➖ リリックを書く前に、絵を描くということを聞きました。絵を描くことはリリックにどのような影響を与えますか?

P:絵を描くことは超ヒップホップだよ。重要な要素だ。グラフィティだよ!リリックを書くのも、絵からインスパイアされることもある。とても本能的なことなんだ。

 

 

音楽に入った経緯、ヒップホップというカルチャーをいかに愛しているか、自身のフローがいかに出来上がったかを語ってくれたファロア・モンチ。Kool G Rapなどのラッパーにも影響されていると語っており、ラッパーだけではなく、ジョン・コルトレーンやニーナ・シモンなどの伝説のおかげで自分が存在していると語った。個人的には、リリックを書く前に絵を描くという話が興味深かった。やはり「アート」として捉えている人は、ここを横断するのだな、と感じた瞬間でもあった。そして「現代のヒップホップ」について、という話題に移行する。

 

 

➖ 最初にあなたたちが80年代後半に「Organized Konfusion」として世に出たとき、あなたたちが難解なリリックとフローのパイオニアだったと感じます。人々はあなたたちの新しく、難解なスタイルにどのような反応をしていましたか?新しくオリジナルなスタイルに対しての議論などはありましたか?

P:俺らは尊敬もされていたし、嫌われてもいた。年上のやつらは、昔ながらのパーティーラップを推したがっていて、俺らの難解なフローを快く思っていなかった。でも俺らは「そういう年寄りはFuckだ」って思ってた。「古いやつらに何がわかるんだ」って思っていた。だから俺も一概に最近の若手をヘイトできないんだ。

 

➖ あなたのHipHopDXでのインタビューで、若手ラッパーたちをサポートしていると読みました。あなたと同じぐらいの期間ゲームにいるベテランたちは、今のヒップホップの状況を嫌う人たちも多いです。この業界の変化や今のヒップホップの状況に対して、トップリリシストのうちの一人である貴方はどのように思いますか?

P:俺は曲を聞いて「これはクソだな」か「これは最高だな」としか思わない。俺は偏見を持たないんだ。トレンドや知名度ってことも関係なく、単に「アート」として評価している。個人的に心を動かしてくれるアートだ。誰が有名なのかも知らない。

でもNick Grant、Royce 5’9、Chance the Rapper、ケンドリックなどは本当に才能があると思う。だから俺は何がマスに対してプッシュされているかを全く気にしないし、俺は自分が好きなものを知っている。

 

➖ 日本のヒップホップアーティストに対してアドバイスなどはありますか?

P: ジャンルの歴史を知ろう。自分が愛している素晴らしいアーティストたちがどのようにして素晴らしくなったかを知ろう。

 

➖ ラップネームが「モンチッチ」から来ているのは本当ですか?

P:俺は広大なモンチッチのコレクションを持っているんだ。日本でもっと買うのを楽しみにしてるよ。

 

 

やはり彼のような、新しいスタイルを広めたパイオニアは当時批判されていたらしい。年上ラッパーたちが「皆で楽しめるパーティーラップ」をやっているなかで、彼のコンプレックスなフロー/リリックはなかなか理解されなかったのだ。しかし「自分のスタイル」を持ち、「古い奴らに何がわかる!」というメンタリティで活動していったのである。しかしここで面白いと感じるのは、彼は元々ニーナ・シモンやジョン・コルトレーンのように、昔の音楽もちゃんと聞いているラッパーだったのである。そこからインスピレーションを受けたアートでも「新しいやつらは駄目だ」と言われていたと考えると、現代のラップシーンとの違いが少し見えてくるかもしれない。

さらに彼はバイアスなしに、「好きなものは好き」「嫌いなものは嫌い」というフラットな視点を持っていることがわかる。さらに面白いのは、音楽には関係ないが彼のラップネームは「モンチッチ」から来ているということだ。これも実は私がどこかで読んで、挙げた質問だったのだが、ここまでモンチッチが気に入っているとは知らなかった。ゴジラをサンプリングしている彼のヒット曲「Simon Says」も、彼が怪獣映画の大ファンという背景があり、今回の来日は彼も楽しみにしていることが伝わる。

【ラップの矛盾?】ヒップホップはリリカルであるべきなのか?時代を追って考える

いいね!して、ちょっと「濃い」
ヒップホップ記事をチェック!