エミネムとケンドリック・ラマーが共感される理由を考える。ストーリーテリングと多重視点

New Kaz Skellington!

 

 

ストーリーテリング

が素晴らしいラップ曲はたくさんある。今までPlayatunerでは「ストーリーとオチがあるラップ曲5選」をパート①パート②にわけて紹介してきた。そのなかではエミネム、コモン、Immortal Technique、OutKast、Slick Rickなどの曲を紹介し、リリックの解説をした。

【第1弾】ストーリーとオチのあるヒップホップ曲5選!各ストーリーの解説/考察

【第二弾】グレイテストラッパーは誰だ!?ラッパーたちの偉大なポイントを解説!KRS-One、Jay-Z、J. Cole、Pharoahe Monch

上記の記事で紹介したアーティストは全て素晴らしく、自分にとっては全員レジェンド級のアーティストたちである。しかしこのような記事たちを公開し、運営している上で、一つ感じたことがあった。「ストーリーが凄いラッパーは多いけど、初期〜中期エミネムの曲は他のアーティストにくらべても、特別に共感されている気がする」ということである。そして同じような反応がケンドリック・ラマーの記事でも見えてくるのだ。

単にエミネムとケンドリック・ラマーが人気というだけかもしれないが、私は「彼らに何か特別な能力」があるのではないだろうか?と考えはじめた。他のストーリーテラーたちと違う点を探すと、いくつかエミネムとケンドリックには共通点が見えてきたのである。この記事では私が感じた彼らの共通点について少し語りたいと思う。もちろん「単純に曲がいい/人気だからでしょ」とか「そんなん当たり前でしょ」など感じる方も多いと思うので、むしろ皆さんのご意見も是非聞かせて頂きたい。

 

多重視点

まず私がエミネムとケンドリックのリリックに感じたことは「多重視点」である。これに関しては他のアーティストもやっていることであるが、エミネムは曲のなかで視点が切り替えることが上手い感じる。視点が切り替わるスピードがかなり早い場合もあれば、登場人物の視点をじっくり堪能させた後に、切り替わる場合もある。ケンドリックに関しても共通点がある。そもそもエミネムには「本人であるMarshall Mathers」と「Slim Shady」という多重人格設定があるので、「エミネム」というアーティストコンセプト的にも「多重視点」の手法に長けているのだろう。

例えばエミネムの場合、最も有名な例が楽曲「Stan」である。Stanはエミネムのおかげでオックスフォード辞書にも登録された言葉であるが、この曲は「エミネムに執着する過激なファンのStan視点」で3ヴァースをラップした後に、エミネムの視点へと切り替わる。(曲の解説はこちら)こちらは登場人物の視点をじっくり堪能させた後に切り替わるパターンである。この手法だと単に第三者視点でストーリーを伝えるより、より鮮明に登場人物の感情を表すことができ、「リスナーを登場人物に憑依させることができる」のだ。

例えば元祖ストーリーテラーと呼ばれているSlick Rickの「Children’s Story」はストーリーとしてはメッセージのあるものとなっているが、第三者視点であるため、「犯罪を犯してしまった青年の心情」の描写が詳しく描かれていないと感じる(メッセージもストーリーも素晴らしいが)。その点で言うと、エミネムは「共感」から「憑依」させるのが上手いのではないだろうか。

 

スピーディーに切り替わる視点/会話

そしてエミネムのストーリーとして、多いのは「スピーディーに切り替わる視点/会話」である。私がはじめてエミネムの1stアルバム「The Slim Shady LP」を聞いたときに、そこに驚いた。唐突に視点や発言者が変わるので、頭が常に「え、次に何が起こるの!?」と考えてしまうのだ。そのいい例が楽曲「Brain Damage」である。

この曲は「自分がいかに脳みそにダメージを受けていて、イカれてるか」を表した曲である。楽曲は医者と看護師が手術をしている描写からはじまる。医者が看護師に手術道具を要求しているなかで、患者が痙攣を起こすのだ。もしかしたらこれは、学校で虐められて意識不明になったエミネムを表しているのかもしれない。そして1stヴァースでは彼が学校でいかに理不尽な仕打ちを受けたかを、とても奇妙な口調で語っているのだ。リリックを全部載せると長いので、会話部分を要約してみた。実際に1stヴァースの0:30から、彼が巧みに声を切り替える箇所を聞いていただきたい。

中学校の初日に、とあるやつに「お前、3時に俺のところに来い。殺してやる」と言われた。
俺は時計を見たら既に1:20分だった。「もう昼飯代あげたじゃん!他に何が欲しいんだ!
彼はこう言った「俺から逃げるなよ。事態は悪化するからな。」
俺は手から汗をかいていて、震えだした。
何かが俺に言った「腹痛を装ってみな?それで大丈夫なはずだよ!
俺は叫んだ「痛い!先生!お腹が爆発しそうに痛い!早く裸のナースを呼んで!
(先生)「どうしたの?
わからないけど、足が痛いんだ!
足?今お腹って言ったじゃん。
えっと、そうだけど、足も痛いんだ
マザースさん(エミネム)ふざけるのはよしなさい。今のであなたの宿題は増えましたよ
でも先生、放課後に補修させたくない?
いや、あのイジメっ子があなたのことをぶちのめしたいらしいから、そうさせるわ

エミネムはこの部分の40秒の間に「エミネムイジメっ子何か(神?)先生」4人の視点を巧み切り替え、ストーリーを進めているのである。最初は第三者視点にたちつつ、徐々に登場人物目線になっている。まさに漫画を読んでいるかのように、シーンの想像ができる。エミネムは「シーンの描写/想像」が恐ろしく上手く、漫画に匹敵するレベルだと私は感じている。この曲はMVがないのだが、リリックと彼の声の切り替わりによって映像が思い浮かぶだろう。特に1stアルバムのエミネムはこの「台詞型」のリリックが多い印象がある。「’97 Bonnie & Clyde」は、まだ赤子のヘイリーと会話しており、「My Fault」ではエミネムのせいでマッシュルーム漬けになってしまった女性と会話している構造となっており、他にもこのような構造の曲が数曲存在している。彼の曲を聞いたとき、人々は脳内で「明確な映像」を思い浮かべることができるのだ。

「The Eminem Show」以降は曲のなかで視点が変わることが少なくなった。私が「The Slim Shady LP」のリリシズムに毎回衝撃を受けるのは、楽曲内での視点移動だが、逆に「The Eminem Show」以降のストーリーテリングと共通点があるのがケンドリック・ラマーである。

 

ケンドリック・ラマーの多重視点

ケンドリックはラップをはじめた頃からエミネムを研究していたらしく、彼の多重視点もとても複雑で面白い。彼の多重視点は「他人に憑依する」という点に関してはエミネムと共通するのだが、彼は憑依した後に「憑依した人物として、ケンドリックに話しかける」場合があるのだ。これはケンドリックでよく見る構図なので、既にどこかで書かれていたり、ケンドリックファンからしたら「いやそんなん当たり前でしょ」となるかもしれない。しかし彼がやっている「外→内」の構図は、恐ろしいほど共感できるのだ。

「アーティスト」であれば、基本的に自分の内なる感情を、いかに表現するかにフォーカスを当てている人が多い。しかしケンドリックの場合は、逆のパターンも多々出てくるのだ。むしろ内側から出てきた感情を、上手く「自分の周りの事例」になぞり、周りに「語らせている」のだ。適当な図になってしまい申し訳ないが、下記の図を作ってみた。

ケンドリック「外→内」パターン

単純に自分のメッセージを外部に伝えるということを続けていると、どうしても説教臭くなってしまう可能性がある。しかし「メッセージを伝えたい対象」に自分の視点を置き、逆に自分に話しかけることにより、説教臭くならずにメッセージを伝え続けることができるのだ。もちろん「i」のようにケンドリックが本人目線で、ストレートにメッセージを伝えている場合も多い。彼はその「内→外」と「外→内」の絶妙なバランスを保っていると感じる。

例えば、「Swimming Pools」では1stヴァースにてケンドリック本人の「酒」に対する視点ではじまる。そこからサビで「お前なんでそんな少ないショットでチマチマやってんだよ?俺がどうやってやるかを見せてやるよ。酒のプールに飛び込むんだよ。」という「知り合い(?)視点」となる。さらには2ndヴァースでは、ケンドリックと「第三者的に話しかけてくるケンドリックの意識」の会話になっている。自分視点で単に「周りに流され、酒を飲むことは危ない」というシンプルなメッセージを伝えたとしても、ここまで深い内容にはならないだろう。

「Wesley’s Theory」でもサビは「あいつらに金なんてやらなければよかった」と黒人コミュニティに対して発言しており、ヴァースでは「金の使い方を知らないが、有名になったラッパー」の視点でラップをしている。これも単純に「俺らは金の使い方を教わってないから、いざ金を手にしたときに使用方法/管理方法を誤る人が多い。そのため、そのような教育が必要」というストレートなメッセージを発信しても、ここまでは響かないだろう。

「For Free?」ではケンドリックの金目当ての女性目線で語られている。彼の曲は全部そうなわけではないが、彼の深い意味を持った曲のなかでは、他の人物に「憑依」している場合が多いと感じる。そのため曲のなかで第三者目線で「ケンドリックよ…」と呼びかけている場合が多い。逆に「DAMN.」が特別だと感じたのは、自分視点で語っているものが多かったからだ。しかし自分視点で語っていても、それが「偉大なパワーをもった第三者」に聞こえてくるのもケンドリックの特徴かもしれない。「DUCKWORTH.」のリリックはまさにそうだろう。

 

全員の経験

以前「Thundercatがケンドリックについて語る」という記事を書いた際に、Thundercatがこのように言っていたのを思い出した。

Thundercat: 彼がラップしていることは全員が経験したことではないかも知れないが、「自分」を感じると同時に「彼」と共鳴できるような「人々の音楽」であり、「全員の音楽」なんだ。

彼やエミネムは多重視点を使用し、自分に対して語りかけていたり、様々な立場の「経験」に「憑依」しているため、人々は共感するのかもしれない。確かに私はケンドリックやエミネムと同じ経験をしていないが、彼らの曲の中に吸い込まれたように一緒に歌ってしまうのだ。

さらにLil WayneがTyler, the Creatorのドキュメンタリーにて語ったことも思い出した。彼は「世間を自分の「鏡」だと思え。「鏡」には判断をする力がないから、「鏡(世間)」に自分を決めつけさせたり、判断をさせたりするな。逆にお前が鏡のなかに見えるものを判断するんだ。」と語っている。まさにケンドリックがやっている「世界に自分をリフレクトさせる」ということにも共通していると感じる。Lil Wayneもストーリーを伝えるときにこのような手法をとっているのかもしれない。2010年代のアーティストだと、J. Coleもこの手法を使用している。彼の「Lost Ones」という曲は彼女を妊娠させた男性と、妊娠した女性の両視点からラップをしているのだ。さらには新アルバム「4 Your Eyez Only」ではアルバムコンセプトとして多重視点を使用している

もちろん「多重人格」的なコンセプトを使用しているアーティストは少なくない。MF Doom、Wu-Tangの面々、2Pac、Madlibなども別名を使用して、様々な活動をしている。しかし曲のなかでもここまで視点が変わるアーティストはなかなかいないのではないだろうか?私がケンドリックを「この世代で最も偉大なアーティスト」と呼んでいるの要因は、このようなところにある。

結論としては、多重視点を使用することにより「全員の経験」を多方面から歌っているから、人々はエミネムやケンドリックのようなストーリーテラーに共感するのかも知れないということだ。結論は一つではなく、正解があるトピックでもないが、この「全員の経験/多重視点」は一つの可能性として私のなかで存在しており、自身がリリックを書く上でもインスピレーションとなっている。皆さんはどう思いますか?他に多重視点を多用するアーティストがいたら是非リマインドしてください。

ケンドリック・ラマーにとって成功とは?若者の命を救うミッションにコミットする彼の理念

(Photo credits: kendricklamar.com, eminem.com)

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