Daz Dillingerがデス・ロウと2Pacと近年のドキュメンタリーについて語る。「彼らは歴史を書き換えようとしている」

 

 

近年の伝記映画

ブームによってN.W.A.、デス・ロウ・レコード、2Pacなどのレガシーは多くの人の耳に入るようになった。デス・ロウと言ったら基本的にDr. Dre、スヌープ・ドッグ、2Pacを思い浮かべる人が多いと思うが、Tha Dogg PoundのKuruptとDaz Dillingerは絶対に忘れていはいけない存在であろう。特にプロデューサーとしてのDaz Dillingerはデス・ロウの後期サウンドを構築した立役者と言っても過言ではない。

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しかし彼はストレイト・アウタ・コンプトンでも、All Eyez On Meでもフィーチャーされていない。そんなDaz Dillingerはこの度新アルバム「Dazamataz」をリリースしたのだが、そのプロモーションとしてBig Boyのネイバーフッドにチェックインをし、近年の伝記映画/ドキュメンタリーラッシュやデス・ロウについて語ってくれているので紹介したい。(インタビュー最後のBig Boyと一緒にWhat Would You Do?を披露する箇所は絶対にチェック!)

基本的に話は彼のデス・ロウ時代の経験というテーマでインタビューは進められているので、まずはそのなかでも興味深かった点を書き出したい。

 

➖デス・ロウにて最も良かったことと、悪かったこと

Daz:デス・ロウにいて最も良かったことは、Dr. Dreと時間を過ごせたことだ。あとはリミットがない人生を歩めたことかな。そして音楽をやって生活して、金を稼げたことだな。ライブをやったり、プロデュースしたり。悪かったことは、やっぱり何かしらトラブルに巻き込まれることだ。俺らはなかったけど、他の人たちのトラブルに巻き込まれる。誰かが入ってきて「Oh No…」みたいになったりしたよ。何も出さなかったアーティストも多かったけど、Ike TurnerとかMary J. BligeとかJodeciとかも当時デス・ロウにいたから、色々なものを見てきたよ。

 

➖ Dr. Dreとの関係は今はどんな感じ?

Daz:まだたまに会うし、良好ではあるよ。彼は俺のはじめての先生だし、俺は彼のはじめての生徒だったし、彼に対しての愛はあるよ。もしDr. Dreともう一生会えなかったとしても、彼にたいしてのリスペクトと愛はあるよ。だってDr. Dreだもん。

 

デス・ロウにいて最も良かったことは、Dr. Dreと一緒に作業ができたことと語った。Dazは元々ラッパーであったが、Dr. Dreの元で学びビートやプロデューシングのスキルを身に着けたのだ。もしデス・ロウに加入していなければ、彼のキャリアも相当変わっていただろう。悪い点としては、やはりデス・ロウ周辺で常に起こっていたトラブルに巻き込まれることであった。西海岸/東海岸ビーフの記事で書いたこと以外にも、水面下で多くの問題があったらしい。

 

 

2Pacとの関係

Daz:2Pacは俺の隣の部屋に住んでいたんだけど、毎朝2Pacは俺の部屋にくるんだ。隣にスヌープと2Pacが住んでたから、彼らは俺がビート作っているのが聞こえるんだ。俺はいつも「ビートは早い者勝ちだ」って言ってたから、彼は朝早くに俺の部屋にくるんだ。

俺はいつも遊んでたし、兄弟や従兄弟のような感じだったよ。俺らは他のどのデス・ロウのアーティストよりも一緒に曲を作ったし。

 

➖2Pacの行いなどについて心配になったりとかはした?

Daz:俺は最初に2Pacがデス・ロウに加入したときに、彼に一つ注意したんだ。彼はシュグ・ナイトと一緒にいたし、彼をデス・ロウの「顔」にさせようとしていたから、こう伝えたんだ。「Pac、お前はブラザーだしお前を愛してるけど、俺らの関係にギャングを持ち込まないでほしい。ギャング関係で俺らの関係を仲違いさせたくない」って伝えた。シュグがPacにさせようとしていることを見ていたし、彼を暴力の世界に入れようとしていたからな。結局Pacはギャングの世界に足を取られたんだけど、Pacはギャングの「政治」を知らなかったんだ。

 

➖その頃はどういう立場で彼と接していたの?彼をそこから抜け出させようとしていたのか、一歩引いて見ていたのか

Daz:正直手に負えなくなっていた。彼は徐々に「俺とスヌープが将軍で、お前らは兵隊だ!もし金や予算が欲しかったら俺かスヌープに言え。そしたら俺らがシュグに話に行くから」とか言うようになっていた。俺は「は?俺は既に自分で色々やってるし、自分の環境作れてるわ」って感じだった。彼は「もっと力を得て行使すれば、さらに金が入る」というメンタリティになっていたんだ。そこで摩擦が起きるようになっていた。

 

➖ 2Pacが撃たれたときにはどこにいた?

Daz:俺はスタジオにいた。当時既にデス・ロウと確執があって、ボイコットをしていた。だから一緒にベガスにはいかなかったんだ。そして2Pacが撃たれたということを聞いたんだけど、俺らは頭のなかで「あ、シュグは絶対に生きてる」って思ったんだ。Pacが死んだのはショッキングだった。

俺らと2Pacはデス・ロウ以前から仲が良かったし、むしろシュグはあまり2Pacのことを知らなかった。2Pacは俺らにJuiceとかPoetic Justiceが公開される前にレーザーディスクをくれたりしたんだ。それで俺らがシュグに「2Pacを出所させよう」って伝えた。

 

➖2Pacはなんとなく予感していたと思う?

Daz:ああ、彼の仕事にたいする理念を考えるとそうかも。その仕事に対する想いを俺に受け渡してくれたんだ。いつも俺らは音楽を作っていたし、彼はいつもゴリゴリに作業する感じだった。素早くレコーディングをするんだ。だから俺はそこで楽曲を素早く完成させられるようになった。俺の仕事に対する理念は受け継がれたよ。

 

 

アパートの2Pacの隣の部屋に住んでいたと語るDaz。そのため、2Pacは毎朝Dazの部屋にビートを聞きに来ていたらしい。Dazは2Pacの名作「All Eyez on Me」でも多くの曲をプロデュースしており、今も公開されていない曲もかなり多いと語った。2Pacの仕事スピードに対する理念は素晴らしく、「All eyez on Me」も2週間で全てレコーディングしている。しかし2Pacが徐々にシュグ・ナイトの影響を受け、ギャング・バンギングの世界に入っていったと語る。元々2Pacはギャングでなかったため、その世界がわからずにトラブルに巻き込まれたのだ。徐々に「力」を欲するようになった彼との溝は広がってしまったと語るDazの話を聞いていると、以前映画「All Eyez on Me」についてK Dub Shine氏とZeebra氏にインタビューしたことを思い出す。アメリカのショービジネスは上にいけばいくほど「狂っている」という言葉が印象的であった。

このDazのインタビューのなかで、他にも非常に印象的な箇所があった。それはドキュメンタリーや伝記映画について語ったことだ。彼は多くのドキュメンタリーが「歴史を書き換えようとしている」と語っており、自分が実際に見たものと違うことが語られていたりすると言う。先日のBETのデス・ロウドキュメンタリーに関しても、Dazは音楽の使用契約面で納得がいかなかったため、彼は協力をすることを拒んだのである。その結果「デス・ロウの集合写真でも自分の鼻しか映らずに存在が消されてた(笑)」と語っている。また、Defiant Onesではジミー・アイオヴィンが「私たちが2Pacを出所させた」と言っているらしいが、実際にはインタースコープ・レコードは保釈金を用意しておらず、逆にインタースコープは出所に対して否定的であった可能性もあると彼は語る。そう考えると、先日書いた「フェイクニュースとヒップホップ」ではないが、実際にドキュメンタリーを見たからといって「真実」がわかるわけではないということを感じるだろう。自分が目で見ていないものを「信じる」危うさも伝わってくる。

しかし驚いたことに、彼は音楽をはじめた当時から撮りためていた映像テープを500本ほど家に保管しているらしく、その映像を使用して自分でドキュメンタリーを制作しようとしているらしい。そのためには協力者が必要で、現在募集中であるとも語った。こちらが制作されるのも非常に楽しみだ。またインタビューでは「日本にいきたいぜ!」とも語っている。

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ライター紹介:渡邉航光(Kaz Skellington):カリフォルニア州OC育ちのラッパー兼Playatunerの代表。umber session tribeのMCとしても活動をしている。

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