西海岸/東海岸ビーフシリーズ② デスロウとバッドボーイ 〜悪化する関係性〜

Writer: 渡邉航光(Kaz Skellington)


 

2pac-biggie

 

海岸同士の抗争とも言える90年代最大のビーフ


第①弾はこちら

ヒップホップの歴史において西海岸と東海岸のビーフはあまりにも有名であろう。ビーフとはいわゆるアーティスト同士の争いや、ディスり合いである。90年代に数年に渡って泥沼化していったビーフは、当時のツートップだったカリフォルニアの2PacとニューヨークのNotorious B.I.G.の命を奪うまでに至った。そもそも何故ここまで激化したのか、と疑問に思う方も多いだろう。一般的に西と東のビーフと言うと、1995年のデス・ロウ・レコードとバッドボーイレコードの関係性が思い浮かぶ。第①弾ではデス・ロウ・レコードとバッドボーイ以前の西と東の関係性を書いたので、この記事はその続きとする。

 

東と西の関係性の悪化


前回はTim Dogが「Fuck Compton」にてN.W.A.メンバーをディスったところまでを説明した。ここから東と西の関係性はもちろん、ヒップホップ内にてビーフが横行するようになる。90年代の海岸同士のビーフは主に「シュグ・ナイトの問題発言」以前と以降で2つの時代に別けることができる。

90年代前半にて注目されるディストラックと言ったらやはりDr. Dre(ドクター・ドレー)の“Fuck wit Dre Day (And Everybody’s Celebratin’)”であろう。金銭的な問題でN.W.A.とEazy-EのレーベルRuthless Recordsを脱退し、シュグ・ナイトと共にDeath Row(デス・ロウ・レコード)をたち上げたのが90年代ビーフ文化の全ての始まりと言っても過言ではない。

この曲のメインテーマは元グループメンバーのEazy-Eに対してのディスであるが、2ndヴァースではスヌープ・ドッグがTim Dogに対して反撃をしている。この時は既に西海岸内でも「Eazy-E 対 N.W.A.を脱退したラッパーと取り巻きたち」という構図ができており、ビーフが乱立していた。実際にビーフの話題性のおかげでレコードセールはうなぎのぼりであった。しかし東のラッパーたちからするとこの状況は好ましくなかった。レコード会社が西海岸ギャングスタラップしか契約しない状況にTim Dogが怒り、西海岸ラッパーたちをディスったように、不満をラップにするアーティストが増えたのである。

その中の一人がCommon(コモン)である。コモンはシカゴなので東海岸というよりはミッドウェストに位置するのかもしれないが、彼は間違いなく東の精神を受け継ぎながら西に不満があった一人である。彼がIce Cubeと繰り広げたビーフは個人的にもトップ5ビーフに入るほどだ。

コモンとIce Cubeのビーフについての解説はこちら

 

東海岸の復活


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ヒップホップが西海岸に乗っ取られたかと思ったとき、時代を変えるグループが2つ出てきた。それはWu-Tang Clan(ウータン・クラン)とP. Diddy率いるBad Boy Records(バッドボーイレコーズ)である。ウータン・クランに関しては特に西海岸との問題はなかったので、この記事において深く書かないが、1993年に彼らがリリースした「Enter the Wu-Tang (36 Chambers)」のおかげで東海岸ヒップホップに活気が戻ったのである。今までのヒップホップと違い、ダークで重い世界観が世間には驚きであったのだ。

さらにバッドボーイレコーズからリリースされたCraig MackとNotorious B.I.G.が大ヒットを飛ばしたことでニューヨークが完全に復活したのである。

 

ビーフを激化させた2つのできごと


ニューヨークのヒップホップファンは、西海岸のヒップホップに対して厳しい顔をする人は多かったが、そこまで激化しているわけではなかった。しかし1994年と1995年に起こった2つの出来事によりヒップホップの歴史が変わることになる。

そのうちの一つは1994年に2Pacがニューヨークのスタジオで銃撃/強盗されたことであった。

Notorious B.I.G.とP. Diddyは彼が襲撃されることを知っていたとの噂もあり、2Pacは強盗を2人の差し金と考えたのである。さらに彼の予想に付け足すようにビギーが直後に「Who Shot Ya?(誰がお前を撃った?)」という曲をリリースしたのが2Pacにとって決め手となった。ビギーとP. Diddyは「あの曲は2Pacが襲撃される前に既にレコーディングをしていた曲だ」と弁解したが、2Pacはそれを信じられなかった。内容が完全に銃撃された2Pacをディスしているような内容であったのだ。

2Pacもニューヨーク生まれとして、真偽はどうであれ元々仲が良かったビギーに攻撃され、5発も撃たれたのが相当ショックだったのだろう。その後、個人単位ではなく、他のアーティストも巻き込むほど悪化する出来事がもう一つあった。

それはデス・ロウCEOシュグ・ナイトの問題発言である

 

ヒップホップが変わった1995年


この日は90年代ヒップホップにおいて最も忘れられない日であろう。舞台はニューヨーク、Sourceというヒップホップマガジンが毎年開催している授賞式でのできごとであった。Dr. DreとIce CubeがベストMV賞をとり、特に問題なく式が進んでいるように見えた。映画「Above the Rim」としてベストサウンドトラックを受賞したシュグ・ナイトが壇上に上がった時に、式の雰囲気がガラッと変わったのである。

 

2Pacよ常に周りに注意しておけ。俺らはお前の味方だからな。そしてアーティストやスターになりたいけど、プロデューサーがやたら曲中に登場したり、MVにてずっと踊ってたりするのが嫌なやつはデス・ロウにこい。

この後半部分の「曲中に登場したり、MVにてずっと踊ってたりする」プロデューサーとは完全にバッドボーイのP. Diddyのことであった。これに気がついたバッドボーイファンはもちろん不満を覚えた。全国的に放送されている場で、しかもニューヨークで行われている授賞式で、ニューヨークを代表するプロデューサーを小馬鹿にしたのである。こう文章で書くとしょうもないことに聞こえるかもしれないが、当時の両海岸のギスギスしたマイナスの感情が一般的にも広まってしまった瞬間であった。さらにDr. DreがDJ Premierをおさえ、ベストプロデューサー賞を受賞したとき、もう一度このようなことが起こった。観客からはDJ Premierが受賞しなかったことにブーイングの声も聞こえたなか、スヌープ・ドッグがドレーのマイクを奪いこのようなマイクパフォーマンスをしたのである。

 

お前ら東海岸はドレーとスヌープにリスペクトがないのか!? お前らは西海岸に愛がないのか!?

実際に動画を見てもらえばわかると思うが、このスヌープ、かなりキレている。ドレーがベストプロデューサーを受賞したのにリスペクトが足りないと怒っているのであろう。これを受け、ドレーは観客をなだめるためか「俺は全員が聴くために音楽を作ってる」と発言する。しかしのブチギレたスヌープが全国的に放送され、メディアの煽り具合が今まで以上となった。

 

2Pacのデス・ロウ加入


それではこの時に2Pacが何をやっていたのか? 彼は捕まっており、牢屋にいたのである。自分ははめられた側であり、無罪だと主張するなか、性的暴行で有罪判決を受け9ヶ月刑務所にいた。彼が保釈金が払えず困っていたところ、目をつけたのはシュグ・ナイトだ。シュグ・ナイトは彼と2Pacの利害関係が一致することを理解していたのである。

2Pacは金を必要としていて、ビギーを攻撃するスキル/理由もある

シュグ・ナイトは東に進出するためにバッドボーイを王座から引きずり下ろしたいし、金もある。

そのためシュグ・ナイトは「デス・ロウに加入しシュグ・ナイトの言いなりになる」という条件で2Pacの保釈金を全額払ったのだ。実際にデス・ロウに所属していたアーティストたちはシュグ・ナイトに指示され、必要以上に東をディスったと後ほど語っている。デス・ロウからリリースされた2Pac作品で注目するべきディスはこの曲であろう。

That’s why I fucked your bitch, you fat motherfucker

だから俺がお前のビッチをファックしたんだ。クソデブが

から始まるこの曲はあまりにも有名であろう。あまりにもこの曲の東海岸へのディスが過激すぎて、35回以上「Fuck」と「Motherfucker」という言葉を使っている。「バッドボーイを全員殺す、モブ・ディープ、リル・キム、Chino XLもバッドボーイに味方するやつは全員死ね」という内容になっている。最後まで聞けばこの曲がどれだけ多くの東海岸アーティストを攻撃したかがわかるはずだ。

さらにデスロウ所属グループ「Tha Dogg Pound」がニューヨークへのトリビュートソング“New York, New York”のMVをニューヨークにて撮影しているときに、襲撃されたのをきっかけにMVもニューヨークディスの内容に変わる。巨大なスヌープ・ドッグがニューヨークの街を破壊している内容のMVになっている。(絵面は面白い)

このようにして立て続けにディスソングがドロップされ、メディアがヒップホップファンを焚き付けてしまったため、最悪な事件を起こしてしまったのである。

 

2PacとNotorious B.I.G.の死


その時は突然訪れた。1996年9月7日、ラスベガスにて2Pacが銃撃されたのである。以前5発の弾を受けて生き延びている2Pacなので、誰もが昏睡状態から復活するだろうと考えていた。しかし入院して6日目に亡くなってしまった。この犯人は今だに見つかっておらず、容疑をかけられたLAのギャングメンバーもすぐに釈放されたのである。(2年後にそのギャングは殺害されているので、もしかしたら何か情報を掴んでいたのかもしれない)2Pacが攻撃したギャングメンバーの報復なのか、過激なヒップホップファンなのか、今だに真相は謎である。

さらにその半年後にLAにてNotorious B.I.G.も銃撃され、死亡した。2人共まだ20代前半ということもあり、ヒップホップ界の若手2大スターがこの半年以内にどちらも殺されてしまったのである。ここではじめてメディアやヒップホップ業界は自分たちが売上と注目のために煽りまくったことを後悔することになる。

ビーフについての考察はこちら

ライター紹介:渡邉航光(Kaz Skellington)カリフォルニア州OC育ちのラッパー。umber session tribeのMCとしても活動をしている。