伝説のプロデューサーQuincy Jones「幼いころはギャングスターになりたかった」

 

ブラックミュージック界で真のドン

であり、生ける伝説と言ったらQuincy Jones(クインシー・ジョーンズ)だろう。有名所だとマイケル・ジャクソンの「Thriller」「Bad」やフランク・シナトラなどをプロデュースしている。紛れもなくブラックミュージック界のG.O.A.T.である。そんな彼は、なんと幼少期に「ギャングスター」憧れていたと語っている。

 

11歳になるまで、私はギャングスターになろうと思っていたんだよ。見ている物にしか憧れることは出来ないからね。でもある日ピアノと出会ったんだよ、これを見つけた時に「一生続けることになるな」と決めたんだ。

それから12〜13歳の時に作曲を始めて、目から血が出るまでやったよ。

 

彼の幼少期というと、当時は1940年代のアメリカである。ちょうど冷戦がはじまる次期ということもあり、当時は今よりもさらに過酷だったのかもしれない。そのようなことを考えると、彼のこの発言には深いものを感じる。続けて彼はこう語る。

 

何故なら、成功するためには準備が必要なんだ。私の中にあった唯一の恐怖は、その機会を逃してしまうことだったからね。

フランク・シナトラから突然電話がかかってきた時でも大丈夫なように、必要なものをすべて整えておきたかったんだよ。準備は常に万端じゃないと。

 

その後、実際に自分が憧れていたフランク・シナトラや、マイルス・デイヴィスの楽曲アレンジを手がけることになったクインシー・ジョーンズ。そんな彼にしか言えない、冗談が現実になったという冗談である。さらに「フランクシナトラとマイケルジャクソンの間から選ぶとしたら?」とインタビュアーに聞かれたクインシー・ジョーンズはこう語る。

 

全員偉大だよ。音楽に対して全部偉大だと思う。成功するかしてないか、それだけの話なんだ。自分の才能を知っていれば、「自分は今はまだ成功していないだけだな」ってわかるだろう

 

この返答に対してインタビュアーが「あなたは60年間成功し続けているなかで、次のどんなことをするのですか?」と聞くと、驚きの返答をした。

 

いや、始まったばっかりだよ。10本の映画、6個のアルバム、4つのブロードウェイショー、クラブやレストランを今作っているからね。これからがすごく楽しみだよ。

 

半世紀以上活躍し続け、80歳を過ぎても、誰よりも活動的なクインシー・ジョーンズ。それはある意味、彼が音楽に対して「ギャングスター」のように、強い野心と活力を持っているからなのかもしれない。

Funkと社会。ドキュメンタリーの解説と王道ファンク紹介

Flying LotusはStones Throwでインターンをしていた。全ては「サイクル」になっていると感じる話

いいね!して、ちょっと「濃い」
ヒップホップ記事をチェック!