【移民とヒップホップ】他国からアメリカンドリームを掴んだアーティスト5人

Writer: まさとっしゅ Editor: Playatuner


 

移民とヒップホップ

トランプが大統領に就任し、ムスリムの入国禁止を命じたり、移民にたいしての制度が厳しくなっている。しかしアメリカでの音楽カルチャーが発展する上で、移民たちの貢献も多大なものであった。ヒップホップという言葉を聞くとアメリカをイメージすると思う。しかし「ヒップホップの生みの親」のDJ Kool Hercとグランドマスターフラッシュは両方とも移民であり、ジャマイカとバルバドス出身ということでも知られている。このようにヒップホップは初期から移民が大活躍しており、常にさまざまなカルチャーが混ざり合ってできた音楽であった。

というわけで今回はカルチャー前進させた移民たちに感謝を込め、他国からアメリカに来て成功をしたアーティストたちを5人紹介したいと思う。

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Akon


彼はブラックミュージック界で最も成功した内の1人だろう。Akonは幼少期をアフリカのセネガルで過ごし、後にニュージャージーに移住。彼の曲「Sunny Day」では「ゲットーで育った俺がこんな日を迎えるなんて誰が思っただろう」と歌っていることから過酷な状況で育ったことが分かる。

 

M.I.A


2000年代にアーティストとしてヒップホップ/ポップス界に衝撃を与えたアーティストM.I.A.。彼女は私たちが想像できないほどの過酷な状況から成功を掴んでいる。イギリス生まれのスリランカ人として、幼少期は内戦中のスリランカで過ごした過去を持っている。内戦で父と生き別れた彼女のアーティスト名「M.I.A」は「Missing In Action(戦闘中に行方不明になった)」の略としても知られており、父へのメッセージとも言われている。昨年公開された「Borders」という曲(上記のMV)では、世界が敷いている「境界」についての疑問を語っており「何故世界は人々を切り離そうとするのか」と政治色の強い内容のリリックを書いている。MVにも力強いメッセージが込められている。

 

Nicki Minaj


彼女はカリブ海に浮かぶトリニダード・トバゴの出身で、5歳の時にニューヨークに移住している。上記の楽曲「Pound the Alarm」のMVは彼女の故郷にて撮影されている。また、最も影響受けたアーティストの一人に同郷のFoxy Brownの名前を挙げている。移住してから彼女はトリニダード・トバゴからの移民として訛りが強いことからイジメの対象になっていたと語っている。最近はMeek Millと破局したことでも業界を賑わせた

 

Wyclef Jean


彼はハイチに生まれてから9歳まで過ごし、後に伝説のヒップホップグループ「Fugees」を結成した。レゲエ、ソウル、ヒップホップなどが融合した彼のサウンドは、アメリカとジャマイカに近いハイチが生んだ賜物であろう。彼はハイチの大統領選に立候補したり、チャリティーライブをしたり、国の為に精力的に活動している。また2010年にハイチ地震が起こった際には、支援のために様々なアーティストを集め、「We Are The World 25 for Haiti」にて大きく貢献した。

 

Rihanna


アメリカのチャートを席巻しているリアーナも移民である。彼女はグランドマスターフラッシュと同じく、カリブ海に浮かぶバルバドスの出身。父親はドラッグ中毒であったが、リアーナは幼い頃からポップスターを夢見ていた。夢を叶えたリアーナはバルバドス政府から文化貢献大使に任命され、2月21日はリアーナ日となっている。

 

実際には数え切れないほどの移民がヒップホップ業界で活躍しているのだが、今回は有名所5人をピックアップしてみた。アジアからはDumbfoundeadであったり、ナイジェリアからはAyo Jayであったり、ヒップホップ文化はアメリカ外出身のアーティストも大きく貢献している。このように世界中に広がった文化/アートが、最終的にアメリカまた還元され、また新たな進化を遂げるのはとても素晴らしいことだと感じる。文化は多様性をもったとき、真の力を発揮するのかもしれない。

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