ヒップホップパイオニアAfrika Bambaata「ヒップホップを最初に取り入れた白人たちは◯◯だった」
ヒップホップの歴史
を辿ると今まで見えてこなかったものが見えてくる。私のPlayatunerでの楽しみの一つは、ヒップホップパイオニアたちのインタビューを読みとき、彼らの知識をシェアすることだ。以前は「グランドマスター・フラッシュとターンテーブルの話」であったり「ヒップホップサウンドとは?」という記事を書いてきた。
そんななか、今までAfrika Bambaataのインタビューについては書いたことがなかったと気がついたので、今回はAfrika Bambaataの面白いインタビューを紹介したい。ヒップホップ/エレクトロファンクトラックのゴッドファーザーを呼ばれる彼が語るヒップホップの歴史はとても面白い。今回はヒップホップと白人のエンカウンターについて紹介をしたい。
DJ Vlad:初期は黒人とラテン系が多かったと思うんですが、なかには白人のDJ/MCとかっていましたか?
Bambaata:まずは混乱しないでほしいんだけど、俺は黒人とラテン系って分けていなくて、同じような経験をしたラテン系もひっくるめて「黒人」って言ってるんだ。初期ではもちろんドミニカ人やプエルトリコ人もヒップホップを形成するのに大きな役割を担っていたと思うよ。初期はコミュニティに住んでる白人たちもライブやパーティーに来てたな。まだステージに上がるやつは出てきていなかったけど。
アフリカ・バンバータも親がジャマイカとバルバドスからの移民ということもあり、彼は「ムーブメントに参加していた」様々な人種、歴史的に同じ経験をしてきた人種をひっくるめて「ブラック」と呼んでいる。まさにChance the Rapperの「ブラック」の定義にも近いと感じる。さらに白人たちがムーブメントに参加しはじめたときのことを語る。
DJ Vlad:白人たちはどのようにムーブメントに参加しはじめたんですか?
Bambaata:今までのブロンクス以外の場所でツアーとかライブをやるようになってからだな。今までパンクロックのシーンがあった場所でライブをやりはじめたんだ。様々なヨーロッパ人が興味をしめして、パンクロッカーたちがヒップホップに参加するようになったんだ。そこからイギリスとかからもラッパーが出てきたり、Funkapolitanがラップを取り入れたり、USからも白人ラッパーたちが出てきた。だからパンクロッカーたちにはビッグアップだよ。文化に多様性をもたらした。
イギリスのFunkapolitanがこの曲をリリースしたのが1981年であるので、恐らくアフリカ・バンバータは70年代後半の話をしているのだろう。パンクロックとヒップホップの社会的立ち位置や、理念には多くの共通点がある。社会のなかで押さえつけられた人たちがいかに自分の居場所を探すか、そのような公民権運動的な役割が大きかったヒップホップの理念に共感したパンクロッカーたちが多かったのだろう。そのようなパンクロッカーたちにとってヒップホップは全く新しい表現方法であった。その後ビースティ・ボーイズなどがパンクロック畑からヒップホップグループに方向転換をするのである。
80年代のメタルバンドが実はラップを取り入れたりしているという記事についてはまた後日書きたいと感じる。
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