西海岸レジェンドのToo $hortが「オリジナル」なラッパーになれた理由を語る。自分が「自分」になった瞬間
西海岸レジェンド
と言うと、LA出身のDr. Dre、Ice Cube、DJ Quikなどを思い浮かべる人は多いだろう。しかし西のパイオニアの一人でもあり、80年代前半から活動しているベイエリアのレジェンドと言ったらToo Short(トゥー・ショート)である。彼は元々LAのサウス・セントラル生まれであるが、14歳の頃にオークランドに引っ越しをしている。ベイエリアのヒップホップに多大な影響を与えた人物だ。
そんな西海岸とベイエリアのパイオニアとして、80年代からオリジナルなラッパーとして活動しているToo Shortであるが、彼はどのようにして「西海岸オリジナルパイオニア」になったのだろうか?彼はこのように語っている。
Vlad:1980年代前半、西海岸にそもそもラッパーっていたんですか?
Too Short:うーん。実際にはラッパーはいたんだけど、俺が最初に西海岸のラップを体験したのはUncle Jamm’s ArmyとかEgyptian LoverとかLA Dream Teamとかその変かなぁ。80年代前半だった。
Vlad:それでは1980年にあなたがラッパーになろうと思ったときは?
Too Short:そのときは本当にNYのヒップホップしかなかったね。
Vlad:そのなかで何故、NYの人たちみたいにラッパーになろうとしたんですか?
Too Short:俺は学校で吹奏楽をやっていて、ドラム担当だったんだ。あと元々音楽が好きで、P-Funkの大ファンだった。P-Funkのレコードの隅から隅まで、歌詞とかも全部覚えていたんだけど、ラップをはじめて聞いたときに「これなら俺でもできそうだ」って思ったんだよね。1980年だったから、多分まだ20枚ぐらいしかラップ曲を聞いたことがなかったと思うんだけど。
しかも幸いラップのレコードは大体インストバージョンも収録されていたから、自動的に目の前にキャンバスがあったような感じだよ。インストがついてるから、練習をするプラットフォームがついているんだ。1980年代のディスコレコードも大体インストバージョンが収録されていたし、当時のラップもディスコから演出したものだった。
元々西海岸に表立って活躍するラッパーがいない1980年頃にラップをしはじめたToo Short。彼はP-Funkの大ファンであり、P-Funkを勉強するうちにラップを聞くようになり「これなら自分でもできる」と感じたのだ。「ラップは誰からでも平等に手が届く音楽」というフレーズが身に染みるようなエピソードであり、ビートさえあれば自分の才能を発揮することができるのだ。さらに彼はこのインタビューの本質となる部分を語った。
Too Short:インストがあったから、俺は最初そんなに真剣に考えずにとりあえずラップを書いてインストの上にのせたんだ。はじめてラップを書いてから半年ぐらいずっとその曲かけてたんだけど、半年経って誰かがやっと「この曲聞き飽きたわ!新しいラップ作れよ!」って言ったんだ。そこではじめて「あ、俺はこのまま新しい曲を作るべきなのか!」って気がついたよ。それが1981年のクリスマスぐらいだったんだけど、自分でボタンを押して録音するラジオ機器で録音していた。試行錯誤をして、スピーカーを録音ラジオの前において、ビートを流しながら一緒にラップをすることで録音をしていた。そして1981年のクリスマスに母さんに、マイクとミキサーが欲しいと頼んだんだ。
Vlad:そのときは既にあなたはダーティーなスタイルをラップしていたのですか?それかNYのようなラップをしていたのですか?
Too Short:そのときはまだNYというか、ラップにありがちな内容を真似してるだけだったよ。自慢というか、ボーストする感じのラップだね。でも全てが変わったのがGrandmaster Flash & The Furious Fiveの「The Message」を聞いたときだ。俺は今でもあの曲を聞いたときのことを鮮明に覚えている。
当時どこにでもブームボックスを持ち歩いてラジオを聞いていたんだけど、一人でいるときにラジオから「The Message」が流れてきたんだ。ラップを聞いて初めて、脳内に情景が浮かんだんだ。本とか読んでるときには経験したことあったけど、ラップでその現象が起きたのは初だった。Melle MelがラップしているNYのことが鮮明に想像できた。そこで気がついたんだ。
俺が今見てるオークランドの情景や自分の周りで起こっていることをラップしたら、俺はクソドープになれるってね。そこで家に帰って、自分の周りで起こることについて書き始めた。全てがガッチリハマった瞬間だったし、そこからToo Shortというアーティストが始まったよ。
このさらっとしたインタビューで、Too Shortは非常に重要な点を2つ語った。一つ目は「どのような環境でも音楽をつくる」という精神性である。現代は技術が発展し、様々な「スタート」が簡単になったため、このような音楽活動はしやすくなっている。しかし、その便利さ故に逆に「機材が揃ってないと作れない」とか「機材を買ってもらえないから夢を追いかけられない」などと考える前に諦めてしまう人が多いのも事実である。夕方のマクドナルドで数時間座っていれば、分野は違えど一回ぐらいはそのような文句を中高生から聞くことができるだろう。しかし実際にはクオリティは低くても、本当にその活動が好きであれば試行錯誤をして「何かしら」を作ることはできる。そのようにして段階を踏み、「私は本気だ!」と見せるのも重要なのだ。まさにToo Shortがミキサーとマイクを買ってもらう経緯そのものだ。
【自分が見えている世界】
そして2点目がこの記事の最も重要な点となる。それは「Too Short」というオリジナルなラッパーが出来上がるプロセスである。元々はNYのラップをそのまま真似していただけであったが、彼は「The Message」を聞いて「自分の世界をラップすること」がどれだけのパワーを秘めているかに気がついた。自分が見えている世界は、自分にしか描けないものであり、表現を生業としている「アーティスト」にとって最も重要な要素なのだ。そこにいち早く気がついたToo Shortは西海岸とベイエリアのパイオニアとして世に出るようになる。オークランドのダーティーな世界、売春の斡旋、ピンプ、セックスなどについてラップするToo Shortはまさに「パイオニア」であった。彼はLAからオークランドに引っ越したとき、「オークランドはまさに映画でしか見たことがない世界だった」と感じたらしく、その感覚がラップに「Too Shortの世界」という形で落とし込まれたのだろう。
そしてIce-T、N.W.A.などもそのことにいち早く気がついたアーティストであり、その後その「自分の世界をラップする精神性」はさらに全世界に広がったのだろう。そのため、現代の私たちは様々な視点の「世界」をラップで聞くことができている。Ice Cubeが自身のことを語っている記事はこちら
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