ヒップホップサウンドとは何なのか。ヒップホップの歴史から「サウンドの本質」を読み解く試み
Writer: 渡邉航光(Kaz Skellington)
ヒップホップサウンドの本質とは?
この記事は以前私が書いた「ヒップホップのはじまり〜グランドマスター・フラッシュとターンテーブルの奇跡の出会い」の続きとする。上記の記事ではグランドマスター・フラッシュが「ヒップホップ文化」をつくり、広めるにあたって彼がどのような研究をしたのかという内容を書いた。それをふまえてヒップホップサウンドってそもそもなんなんだろうか?という漠然とした疑問を突き詰めていきたいと思う。
私はいろいろなジャンルが好きなのだが、やはりヒップホップが好きだ。小学校3年ぐらいのときになんとなく買った「100% Funk」というファンクのコンピレーションCDをきっかけに「なんとなく似たジャケット」を買い漁っているうちにヒップホップにはまったのである。
そんな私が以前書いた「よく聞く「最近の若者は先人たちをリスペクトしない」という批判について」という記事を書いているときに気になったことがある。よく「こんなのヒップホップじゃない」とか「リアルなヒップホップじゃない」という台詞を耳にするが、「リアルなヒップホップってなんなのだろうか?」という疑問である。さらに現在はヒップホップは「音楽ジャンル」とされているので「ロック/メタル/ポップスは好まない」といったヒップホップキッズもYouTubeコメントなどでよく見る(その逆の場合もかなり多く見る)。音楽ジャンルとされているにも関わらず、サウンドスタイルにあまりにもいろいろな形があるので、一つの法則性を見つけるのが難しい「ヒップホップサウンド」の本質を考察してみよう。
よく耳にするリアルなヒップホップって?
「リアルなヒップホップ」と聞いたとき、どのようなアーティストを思い浮かべるだろうか?これに関しては多分どの時代のヒップホップが好きかで完全にわかれそうではあるが、大体の人が80年代後半から90年代を思い浮かべるのでないだろうか。アーティストで言うとA Tribe Called Quest、Rakim、Gang Starr、Wu-Tang Clanらへんだろうか?
しかしここで思い出さないといけないのは、どのアーティストも最初に出てきたときは「新しいもの」扱いされていたということだ。例えばA Tribe Called Questは最初に出てきたときは「踊れないヒップホップ」と言われていた。彼らが出てきたときはRun DMCなどが「リアルなヒップホップ」だったのであろう。そしてRun DMCが80年代に出てきたときはGrandmaster Flashなどがリアルなヒップホップだったのであろう。80年代後半にEric B & RakimやOrganized Konfusionが出てきて、ラップの難易度をガッツリ上げたときも、認めない人たちがいたのだ。新しいアーティストが出てきたとき、常に新しい世代が支持することによって成長してきたのだ。
もしかしたら時代が進むにつれ基本的に10年前〜20年前のアーティストが「リアル」とされるのでないだろうか。そのような考えからすると10年後には、2000年代後半などのトラップっぽい曲も「リアル」ヒップホップとされることも予想できる。ここで感じるのはやはりヒップホップサウンドの本質は、とある一つの「音」に当てはまらないということだ。その本質を読み解くためにはヒップホップが産声をあげたときのことを紐解く必要がある。
「音」だけではないヒップホップの精神性
サウンドとしてのヒップホップのルーツは「ヒップホップのはじまり〜グランドマスター・フラッシュとターンテーブルの奇跡の出会い」で書いたように
「曲中にある短いドラムソロみたいな部分(ブレイク)がずっと続けばいいのに」
という想いが元となって形成されている。DJ Kool Hercやグランドマスター・フラッシュのような先人たちが「ブレイク」を永遠に繋げ、人を踊らせることに知恵を捧げた産物とも言える。ここで最注目しないといけないのはグランドマスター・フラッシュがインタビューでしていたこの発言である。
当時は朝から晩までレコード屋に篭って、ジャンル関係なくひたすらブレイクがある曲のレコードを買いまくってたんだ。
この一文で最も大切なのは「ジャンル関係なく」ということであろう。「ヒップホップ」という言葉を聞くと、ジャズやファンクをサンプルした「リアルなヒップホップ」などといったイメージを思い浮かべる人多いなか、ヒップホップの本質を考える上で「ジャンルに関係なく」というところが重要になってくるのではないだろうか。実際にヒップホップに多大な影響を与えた元ネタの一つはロック曲である。Billy Squierの“The Big Beat”のドラムビートはヒップホップファンであれば一度は聞いたことがあるだろう。
この曲はRun DMCからJay Zやエミネムにも使用されている(大体この曲がサンプルされるときはリック・ルービンがプロデュースしているからというのもあるかも)。さらにQueenのかの有名な“We Will Rock You”もエミネム、Ice Cube、Afrika Bambaata、Raekwonと新旧アーティストに多くサンプルされている。ロック系のサンプルで一番面白いと感じたのはPublic Enemyがスラッシュ・メタルバンド「Slayer」の“Angel of Death”をサンプルしていることだ。
そう、ヒップホップの精神性はジャンルに関係なく「新旧の融合」なのであろう。
ずっと変わらない「サウンドの本質」
「本質」とは何かというと“今も昔も変わらなく根付いていること”だと感じる。その定義で答えを出すとしたら、上記の話をふまえこうは言えないだろうか?
ヒップホップの本質とは「過去から学んだ知識を使用し、新しい感性を足し、人を踊らせるループ/音楽をつくる」ことだ
ヒップホップを構成する4つのエレメント「DJ」「MC」「グラフィティ」「B-Boying(ダンス)」は有名な話してあるが、そこにもう一つ付け足されたことを知っているだろうか?それは「Knowledge(知識)」だ。
DJ Kool Hercやグランドマスター・フラッシュからはじまり今まで成長してきたヒップホップは、ヒップホップ以外の音楽、むしろ音楽以外の分野にも視野を広げ、そこで感じ取ったことを自分なりに新しく解釈するということが共通点だと感じる。「ヒップホッパーだから他の音楽ジャンルは聞かない(笑)」という人たちがいかにヒップホップじゃないかという解釈の仕方もできる。
ヒップホップ文化をフォローする者としては、ヒップホップ以外のジャンルにも視野を広げ、音楽以外の分野にも関心を持ち、それをさらに磨き上げる気持ちが大切なのであろう。今まで文化に貢献してきたアーティストの恩恵を受け、しっかり時代にあったバトンを繋げることがヒップホップ文化を一番成長させる精神性なのであろう。そして新しいものが出たとき、それを脊髄反射的に批判をせず、そこからどう文化が動くかを観察することが大切なのかも知れない。今回はサウンド的な本質を紐解こうと試みたが、もちろんヒップホップの精神性は公民権運動的な面もかなり大きく、それはヒップホップ以前のブラックミュージックからずっと根付いてきた社会的な役割である。Funkの社会的役割について書いた「Funkと社会」はこちら。
ライター紹介:渡邉航光(Kaz Skellington):カリフォルニア州OC育ちのラッパー兼Playatunerの代表。FUJI ROCK2015に出演したumber session tribeのMCとしても活動をしている。
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