アフリカの島国「カーボベルデ共和国」で発達した音楽とブラックミュージックの魂

Writer: 渡邉航光(Kaz Skellington)


Cape Verde

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アフリカにある美しい島国、カーボベルデ共和国


カーボベルデ共和国という国名を聞いたことがあるだろうか? 多分ほとんどの方が聞いたことがない名前だと思うが、ここで発達した音楽や文化について少し紹介したいと思う。

カーボベルデ共和国とは?

カーボベルデ共和国とはアフリカの西に存在する離島が集まってできた国である。

カーボベルデ共和国 場所

http://www.operationworld.org/cape

 

15世紀までは無人であったとされており、発見から1975年まではポルトガル領であった。発見当初はポルトガル人の移動はそこまでなかったが、16世紀に入ると、とある歴史的出来事をきっかけにポルトガル植民地として栄えるようになった。

それは奴隷貿易

カーボベルデは、アフリカから南北アメリカに、アフリカ人奴隷を輸送する中継地点として最適な地理であったのである。そのため、カーボベルデではポルトガル人とアフリカ人による両者の混血が進んだ。そこからクレオール文化が発達したのである。

クレオールとは「植民地生まれ」を指す言葉であり、「宗教国生まれ」に対比する言葉とされており、文化のミックスの過程で独自の言語等が発達していったのである。カーボベルデ共和国の音楽を語る上で「奴隷貿易」と「文化のミックス」はとても重要である。

 

奴隷制度廃止と独立


1879年に奴隷制度の廃止や飢餓などを受けて、カーボベルデの繁栄は徐々に失われるようになった。しかしその貿易に理想的な立地を存分に発揮し、商業港として発達していったのである。その後ポルトガルのカーボベルデに対する扱いに不満を感じていたカーボベルデ人とギニア人により結成されたPAIGC(ギニア・カーボベルデ独立アフリカ党により独立に導かれた。独立までにはポルトガル軍との戦争をしており、1975年にやっとカーボベルデ共和国として独立が叶った。

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文化と音楽


このような歴史的背景をふまえ、日本から分かる範囲でこの美しい島国の音楽文化を紐解いていこうと思う。奴隷貿易に大きく影響された音楽は、カーボベルデ人にとって日常生活の中で不可欠のものであり、在外カーボベルデ人にとっても、文化的アイデンティティの中核となっている。ポルトガルの植民地として、ポルトガル色が強かった地域と強くなかった地域では好まれる音楽も違うらしい。

 

Morna(モルナ)


カーボベルデにて一番有名と言っても過言ではない音楽にMorna(モルナ)というジャンルがある。これはフォークミュージックに分類する音楽であり、故郷や家族に対する想いから歌われることが多い。Mornaは英語でいう「To Mourn(深く悲しむ)」と同じ語源から来ているという説がある。

奴隷貿易や植民地時代に経験してきたシビアな環境や、抑圧された経験から生まれたと思われる深い音楽である。音楽的にはヨーロッパの文化から来ている楽器を使用しているのが多く、アルゼンチンタンゴっぽさもある。モルナを代表するアーティストにCesaria Evora(セザリア・エヴォラ)がいる。彼女はカーボベルデ共和国出身で、グラミー賞も受賞している世界的アーティストである。

 

Funaná(Funacola)


Funana(フナナ)はカーボベルデの一番大きい島「Santiago」が発祥の、アコーディオンを多様する音楽である。アフリカ色が強いため、独立以前はポルトガルの権威に非難されていた音楽であるが、独立後はBulimundoやFinaçonなどのバンドがColadeiraというダンスポップスジャンルと組み合わせ、新たなダンスミュージックとしてジャンルを確立した

Bulimundo

 

Finaçon

ダンスミュージックとして発展したFunana+Coladeira

 

Cola & Zouk


Cola Zoukとはカーボベルデ発祥のポップス音楽である。Colaの部分はカーボベルデのダンスミュージックColadeiraから来ていている。Zoukはフランス領アンティル(北アメリカ)を発祥地とする音楽のジャンルであり、「お祭り」を意味する言葉である。アフリカのフランス領であった場所では今でも根強い人気を誇っている。ハイチやラテン音楽との関連性も高い。

Cola Zoukの代表的なアーティストにはElizioというアーティストいる。彼はアフリカのアンゴラで生まれ、内戦から逃れ、カーボベルデで育ったズークアーティストである。ズークのリズムはレゲェ等からも影響を受けている。何故このような音楽がアフリカの音楽と融合したのかと言うと、やはりヨーロッパの植民地という事で文化が入り混じったからであろう。逆輸入とでも言うべきか。

 

Batuque


Batuqueはまさに上記のヨーロッパの影響を受けた音楽と違い、アフリカを体現するような音楽である。打楽器やハンドクラップのみで構成されており、女性が力強く歌い、踊る。これは押さえつけられてきた女性の不満などを歌い上げるフォークミュージックである。楽器のメロディがなく打楽器だけで構成されるリズミカルな音楽は他のカーボベルデの音楽とは違い、一番アフリカ文化からの影響を受けている。

 

結論:文化のフュージョンと独自の進化


ここまで見るとカーボベルデ共和国の音楽は様々な地域からの影響を受けているのがわかる。例えばカーボベルデのお祭り(カーニバル)と言えばこのようなものがある。

カーボベルデ カーニバル

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このようなカーニバルを見た時にまず思い浮かぶのは南米のサンバであろう。アフリカと南米のように地理的に全く異なる場所であったとしても、歴史を紐解いていくと共通点が見えてくる。それは双方ともポルトガルやヨーロッパ諸国の植民地であった、ということである。

歴史の中でそのような外部文化が、現地の文化と混ざり合った時、新たな発展に向けて動き出すポルトガルの文化がアフリカ、南米と広まっていったことにより、全く地理的に共通点がないような場所でも「音楽」という物で心を共有できるのだ。

カーボベルデでは①ポルトガルやヨーロッパの文化、②アフリカの音楽文化、③奴隷貿易という歴史的な要因が組み合わさり、独自の音楽文化が発達していったのである。「踊る」という音楽や行為に関してもただの「踊り」だけではなく、自由を求める姿勢というのが伝わってくる。それは奴隷貿易という悲しい過去を乗り越えたカーボベルデ共和国ならではの音楽であろう。

音楽の「音」だけにフォーカスをする人が多い中、このような歴史的背景や文化的背景を紐解くことにより、新たな価値観が生まれてくる。このようなことも意識して音楽を発掘すると、さらに音楽発掘が楽しくなるであろう。