ヒップホップのはじまり〜グランドマスター・フラッシュとターンテーブルの奇跡の出会い
Writer: 渡邉航光(Kaz Skellington)
今や巨大市場となったヒップホップ
ビッグジャンルの中でも一番新しいと言っても過言ではないヒップホップ文化は、1970年代に形成されたものである。ヒップホップファンじゃない人に「ヒップホップ」という文化のイメージを聞くと大体の人は「オーバーサイズの洋服を着てラップし、Yoって言っている人たち」という返答をするであろう。「ヒップホップ」が産声を上げた経緯、そしてDJ Kool Hercとグランドマスター・フラッシュについて知っている人はどれぐらいるのだろうか?
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近年、昔の音楽を新しい感性で進化させる流れもあり、ありがたいことにYouTubeなどに様々なインタビューが掲載されている。ヒップホップパイオニアの中でも最重要人物と言っても過言ではないGrandmaster Flash(グランドマスター・フラッシュ)のインタビューを読み解くと、ヒップホップの始まりについて知ることができるので、グランドマスター・フラッシュについて説明しつつ、少しづつ解説をしていきたいと思う。なおヒップホップの産みの親はDJ Kool Hercであるが、この記事ではその後のムーブメントが前に進んだ瞬間について書きたい。
ヒップホップファンであればグランドマスター・フラッシュという名前を一度は聞いたことがあるだろう。1958年バルバトス生まれのNYサウス・ブロンクス出身のアーティストで、彼がヒップホップDJにおけるカッティング/ミキシングを発明した人であろう。元々2つのターンテーブルを使用し、ループさせる手法はDJ Kool Hercが独自に開催したブロックパーティーにて、ヒップホップの産みの親として発明したものであったが、フラッシュは彼をメンターとしてスタイルを参考にしつつ、文化として広まるレベルまでブロンクスの外に持ち出したのである。アーティストとしてはGrandmaster Flash and the Furious Fiveで知られている。
青年の好奇心と研究の成果
70年代前半、グランドマスター・フラッシュはブロンクスに住んでいる10代後半の青年であった。彼が他の青年と違ったところは、音楽への愛と機械への好奇心/研究心がとても強かったところであった。父親がレコードコレクターだったのもあり、いつも父親のレコードプレイヤーを勝手に触っては怒られたとのこと。そんな彼は音楽を聞く度にこう思っていた。
「曲中にある短いドラムソロみたいな部分(ブレイク)がずっと続けばいいのに」
そう、彼は曲中のブレイクの部分が人々を最もグルーヴィー踊らせることに気がついていたのだ。(ブレイクってなに?って方は上記のドラムブレイクを集めた動画を見るとわかりやすいだろう)そんな彼に衝撃を与えるのが2つのターンテーブルにて同じレコード2枚使用し、ループを作るスタイルでDJをしてたDJ Kool Hercであった。当時、NYのブロンクスでは地域の結束を高めるためのブロック・パーティーが流行っていた。フラッシュは彼のスタイルを参考にし、ループを永遠に続けるのに最適な方法を探したのである。これが後のヒップホップトラックの元となる。
フラッシュは電気系統や工作にとても興味があったのもあり、レコード屋に行く以外は部屋に篭り、研究や実験に時間を費やした。そこで彼は最適なループを作るのに、当時のターンテーブルシステムに3つの問題を発見したと語っている。それが
① レコードを巻き戻す時にスムーズに回らない
② 止まっている状態からレコードプレイヤーが最大速度に達するまで時間がかかる
③ 片方のターンテーブルを流している時、もう片方の音を確認できない
という問題であった。
①の問題は大きい紙やフェルトを円に切り、ターンテーブルの上に乗せたことにより滑りが良くなり、解決した。これが後のスリップマットと呼ばれるものになり、DJには欠かせないものになっている。
最適なターンテーブルと奇跡の出会い
それでは②の問題はどうやって解決したのであろうか?これに関してはターンテーブルの機能の話なので、フラッシュ個人がどうこうできる問題ではなかった。ありとあらゆるメーカーのターンテーブルを試してみたが、駄目だったと語っている。その中で電気屋の片隅にしまわれていたターンテーブルの一つを試していないと気が付き、店の人に頼んで引っ張り出してもらったのである。最初は怪しまれたが、自分の研究について語ると理解してくれ、快く試させてくれたらしい。
そしてそのターンテーブルにペンを起き、電源をONにした結果、1/4週で最大速度に達したのである。フラッシュは当時のことをこう語っている。
今まで使ったなかで一番速く最大速度に達して感動をした。驚いたことにこれが全く聞いたことがないメーカーが出してるターンテーブルだったんだ。それには小さくステッカーで「Technics」と書いてあったんだよ。
そう、そこでフラッシュが奇跡的に出会ったターンテーブルが日本のパナソニックから出ているTechnics SL-23であったのだ。
なんとも奇跡的な出会いであろう。偶然試した日本のメーカーがグランドマスター・フラッシュが求めているターンテーブルであったのだ。
③の問題に関しては近所の電気屋にて、電流スウィッチを買い、ミキサーから出るケーブルにとりつけたのである。それをやることにより、スウィッチが左にあるときには自分だけに音が聞こえ、右にあるときは前のスピーカーから流れるというシステムを自作したのである。これが後のDJシステムに導入される「CUE(キュー)」機能となる。
ヒップホップとは
このようにしてグランドマスター・フラッシュは「ループを作り、人々を踊らせる」という手法を最適な方法で整えたのである。この手法が広まり、上に煽りなどの声ネタを載せるという手法も加わった。この「昔の音楽に新しいアイディアをのせる」という発想はヒップホップ/ラップとして世に広まることになるのだ。ヒップホップだけではなく、現在のDJ文化は彼の功績によって成り立っていると言っても過言ではないだろう。
ライター紹介:渡邉航光(Kaz Skellington) カリフォルニア州OC育ちのラッパー兼、Playatunerの代表。New Kaz Skellington!
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