2Pacのロックの殿堂入りのタイミングでKissのジーン・シモンズが再び物申す。「ロック」について考える

 

ロックンロール殿堂入り

はやはりアーティストにとって大きな名誉であろう。作品として賞賛するグラミー賞とはまた違い、「殿堂入り」とはそのアーティスト人生を讃えるものだと感じる。ヒップホップアクトとしては今までにRun DMCとN.W.A.が殿堂入りを果たしており、N.W.A.は2016年に殿堂入りと記憶に新しい。今年は2Pacが殿堂入りを果たすわけだが、またとある男が物を申しているのだ。

去年N.W.A.が殿堂入りをしたとき、「KISSのジーン・シモンズがラップを批判、N.W.A.がロックの殿堂入りスピーチにて反論」という記事を書いた。その内容は読んでもらえればわかるが、「ロック」の殿堂入りなんだから「ヒップホップ」アーティストは選ばれるべきではないという内容であった。さらにはラップへの批判もしている。そんな彼がまたこちらのインタビューにて物を申している。

 

ロックンロール殿堂入りをするべきじゃないアーティストが多すぎると感じる。ディスコとかラップとかはロックの殿堂入りに入るべきじゃないだろ。ラップのことはリスペクトしてるけど、レッド・ツェッペリンが「ヒップホップの殿堂入り」を果たす日がきたら、ラップアーティストがロック殿堂入りするのを認めるよ。

 

前回の批判では「ラップの死を期待している」とまで言っているので、今回は「リスペクト」しているといっていることに?が浮かぶが、彼の論点は「サウンド/ジャンル」の違いなのである。以前の記事ではIce Cubeはこの「ロック」と「ラップ」というジャンルの違いに関して一枚上手な感じで「社会にたいする姿勢」という論点で反論している。N.W.A.はまさにそこらへんのロックよりよっぽど「ロックの精神」を持っていると感じる。

 

殿堂入りは「ロック」じゃないとダメ?


正直この議論は「ロックンロールの殿堂入り」という名前を変えない限り解決に向かわないと感じる。正直名前なんてなんでもいいのだが、私は「リスナーと時代の心を“ロック”したアーティスト」というふうに捉えている。ここで考えるのは果たしてロックの殿堂入りは「サウンドとしてロック」じゃないとダメなのだろうか?という疑問である。ここで歴代の殿堂入りアーティストについて調べてみた。

1983年にたちあがったこの殿堂入りというシステムであるが、1986年の初回殿堂入りアーティストを見ると既にロックというよりソウルが多いイメージがある。1950年代〜1960年代のアーティストが多く、そもそもこの時代はジャンルという概念がまだ細かく形成される前だからかも知れない。例としてはJames Brown、Little Richard、Chuck Berry、Ray Charles、Sam Cookeなどを含め、16アーティストが殿堂入りを果たしており、ジーン・シモンズが言う「ギター、ドラム、ベース」が激しく演奏するいわゆる「ロック」アーティストはChuck Berry、Buddy Holly、Little Richardぐらいなのではないかと感じる。初回殿堂入りのLittle Richardは確実に「ロックンロール」であり、これが当時の「ロック」であることは明らかだ。

James Brownもジャンルとしては「ファンク」であるが、実際彼が人々に希望を与えた姿はまさに「ロックスター」であると感じる。もし「サウンド」にフォーカスを当てて拘るのであれば、そもそも初回からソウルアーティストが多く、現代のロックアーティストも「ロックンロール」ではないとツッコミを入れることができるだろう。

このような50年代などの「細かいジャンル」ができあがる前の偉大なる先人たちを聞いていると、いかにジャンル分けの論争が無意味かということを自覚できる。先人は「ロックバンドになるぞ!」というよりは「自分が信じるイケてる音を奏で、人々の心をロックするぞ!」という意識であったのではないかと感じる。アーティストが信じるものをリスナーの心に届けた結果、それがたまたま「ロック」という概念になったに違いない。人が勝手に作ったジャンルという「箱」と「概念」をフォローするのではなく、オリジネーター/先駆者であるということはそういうことなのだ。そういう意味でも「オリジネーターたち」に殿堂入りを捧げたいと思う。