Dr. Dreとエミネムが出会ったときのことを語る。HBO新ドキュメンタリーから有名なエピソードを紹介

 

 

Dr. Dreドキュメンタリー

は既にいくつか出ている。彼のファミリーツリーを含めて、彼の大きすぎる人生をおさらいすることにより、モチベーションが高まるので、私は彼のドキュメンタリーを見るのが好きだ。そういう意味で先日HBOにて公開されたDr. Dreドキュメンタリーは期待できる内容であった。彼の人生ストーリーはもちろん、彼のスタジオでの様子や仕事に対する理念を確認できそうな作品であった。

期待されているHBOのDr. Dreドキュメンタリーから映像が公開。Dr. DreとIce Cubeがこのように語る。

そんな新ドキュメンタリーの一部が様々な箇所でアップされているのだが、そのなかでも「エミネムとの出会い」が興味深いので紹介をしたいと思う。実際に彼らの出会いのエピソードは様々なところで語られているので、かなり有名な話であるが、再確認のためにも紹介したい。Playatunerでも頻繁に紹介している【ヒップホップドリーム】にも共通する話である。

 

Dre:当時俺は一緒に仕事をするアーティストがいなかったんだ。だからジミー(アイオヴィン)の家に行って、リスニングセッションをしていたんだ。彼は俺の今後の音楽キャリアをどうするかにおいて、手助けをしてくれていたんだ。だからカセットテープが大量に散らばっている彼のガレージによく招待してくれて、そこで音楽を聞いていた。そして彼がとあるカセットテープを手にして、それを聞いたとき「は?なんだこれ?一体これは誰だ?」って感じたんだ。もう巻き戻して一回聞かせてくれって頼んだよ。

 

ドレーがデス・ロウ・レコードを辞めたあと、彼はプロデュースするアーティストを探していたのである。その時にInterscope Recordsのジミー・アイオヴィンの家で運命的な出会いがあったのだ。エミネムの当時のラップバトル映像が流れた後に、音楽業界で第一線で活躍してきたジミーはこのように語る。

 

ジミー:「グレイトなもの」はどこにでも見つかる。私の会社のインターンが「昨日のラップバトルで見たやつが凄かった」と言ったので、「彼のCDをゲットしてくれたら、Dreに聞かせておくよ」と伝えたんだ。それが始まりだった。

エミネム:俺は当時、単純に上手いMCとして知られたいという希望を持っていたんだ。自分の好きなことで飯を食うってことが自分のゴールだった。俺は当時、とりあえず自分の名前を売るために、様々なところに顔を出してカセットを渡していたんだ。ラップオリンピックの決勝まで残って、そこで負けたんだけど、青年がテープをほしいって声をかけてきたからあげたんだ。

そこから少し経って、インタースコープのオフィスに呼ばれた。「うわぁ俺インタースコープのオフィスにいるよ…うわぁジミー・アイオヴィンもいるし…うわぁDr. Dreが扉から入ってきた…まじか」って感じだった。ウンコ漏らしたよ。今も思い出して小便漏らしているよ。うん。

 

ラップオリンピックの決勝に出たとき、彼のテープは巡り巡ってインタースコープのジミー・アイオヴィンの手に渡ったのである。そして彼がドレーに聞かせたのだ。気がついたらドレーが目の前にいるという状況で、自分に起こっていることが信じられなかったのだろう。さすがに本当にウンコは漏らしていないと思うが。

 

Dre:エミネムがめっちゃ明るい黄色の服で登場したんだ。「お前のラップは素晴らしいと思う、一回仕事をしてみたい」と伝えたんだ。当時、自分の家にスタジオがあったから、そこでサンプルをいじったりドラムマシンでビートを作ったりしていた。そこにエミネムを招待し、彼が気に入るかどうか知るために「My Name Is」のビートを再生したんだ。その3秒後に彼は「Hi! My Name Is! My Name is!」とサビを歌い始めた。出会って、スタジオに入った最初の数分でこの出来事が起こった。

 

エミネム:俺はこの時点で、何もわかってないのに最も偉大なプロデューサーのスタジオに座っているんだ。何もわからないけど、彼が再生したビートの上に乗る韻が全部準備できてるようにしたかった。彼は俺ラップする内容を笑ってくれて、「こういうことは言っちゃ駄目だ」って反応はしなかった。

Dre:俺はとにかくレコーディングしたくて急いでいたんだ。プロデューサーとしては、このような空間でマジックが起こっているのを感じるときがある。このモーメントを逃したくなかったんだ。俺は腹から「俺が一緒に仕事すべきアーティストはこいつだ」と思った。でもその時はまだ自分の周りにどれだけ人種差別をする人が多いかを知りもしなかった。

 

はじめてのスタジオセッションを開始して数分で意気投合をした2人。まさにその空間に魔法がかかっているかのようなセッションであり、ドレーは速攻でエミネムを契約したいと思ったのだ。通常では契約に2ヶ月ほどかかるらしいが、彼は「他のレーベルに取られたくない」と思ったらしい。しかし彼の周りは反対派が多かったのである。

 

Dre:俺の周りの全員が「こいつと契約するな」と言ってきた。レコード会社のお偉いさんとかも、俺を追い出そうとしていたんだ。俺のジェネラル・マネージャーもエミネムの写真を指しながら、「ドレー!こいつの目は青いじゃないか!何やってるんだ!」と言ってきた。

ジミー:私たちは議論を巻き起こすような白人のラッパーを探していたわけではない。単に「素晴らしいラッパー」を探していたんだ。

エミネム:俺はそこでデトロイトに戻って、落ち込んだ。多分この件はなかったことになるんだろうな、と思っていた。ちょうど住んでた家から追い出された時だったし、自分の居場所がなかった。

Dre:当時のタイミングはとてもクレイジーだった。俺らは両方人生でかなり悪いシチュエーションにいたんだ。だから俺らは音楽で共鳴しただけではなく、友達としても共鳴した。俺は「もう周りの意見とかどうでもいい」と思って、自分の全てをエミネムにかけてみることにしたんだ。

エミネム:ドレーが、かなりのリスクを負ってくれたのを知っていたが、内心彼がどれだけ戦っているかを知らなかったんだ。彼は俺の人生の恩人だ。

Dre:俺は真の天才たちとスタジオで仕事ができたことに感謝をしている。The Slim Shady LPが出たときは、興奮したね。今までにない新しいものだったし、成功した。新しい自分になって、0からまた歩き出せると感じた。

 

エミネムが白人であることから、ジミー・アイオヴィンを除く周りの人たちに反対されたドレー。しかし彼は全てのリスクを背負って、一か八か全てをエミネムにかけたのである。その結果、私たちが知っているエミネムが世に出ることになった。彼の判断、そして「周りに何を言われようと自分が惚れた才能を信じる」という心は、まさにプロデューサーとしていかにドレーが素晴らしいかを物語っている。このストーリーは今後も後世に語り継がれるだろう。

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