The Gameの「The Documentary」に関する豆知識を5つ紹介

 

2000年代のウェストコーストを代表する作品

と言ったらもちろんたくさんあるだろう。しかし2000年代の西海岸ヒップホップにおいて、The Gameの「The Documentary」ほどの衝撃を与えた作品はなかなかないと感じる。2005年の1月18日にリリースされ、コンプトンの復活を支えた作品である。Dr. DreのAftermath Entertainmentからリリースされた名作「The Documentary」の豆知識を5つ集めてみた。

 

① 「How We Do」はDr. Dreが1983年に作ったビート


ヒットシングル「How We Do」を聞くとまずはTR-808のオールドスクールサウンドが印象に残るだろう。そう、実はこの曲はDr. Dreがキャリアの最初のほうに制作したビートで、元々は「Fresh 83」と呼ばれていたとMTVのインタビューにて語っている。ミックスなどで音色を変更したとは言え、83年に既に2000年代にヒットを飛ばすビートを作っているというのはやはりドレーの才能が出ている。なお、ドラムのサンプルはこちらを使用しているとも言われている。

 

②「How We Do」はDr. Dreのお蔵入りフォルダにあった。


先程にも書いた「How We Do」であるが、元々Dr. Dreが使用するつもりはなかったのだ。しかしDr. Dreがミーティングに入っている間、The Gameが勝手に彼のフロッピーを漁って見つけたと噂されている。

 

③ 元々「The Documentary」というタイトルではなかった


実はこのアルバム、当初は「The Documentary」というタイトルではなかった。彼の「Dreams」という曲では「元々“N*gga Wit’ An Attitude Volume 1”というタイトルをつけるはずだった」と語っている。この名前はいわゆるN.W.A.の略無しの名称であり、彼がいかにN.W.A.に影響されたかがわかる。しかしN.W.A.の権利をもっている故Eazy-Eの妻と裁判沙汰になり、タイトル変更を余儀なくされた。

 

④「Put You in the Game」でほぼ全員訴えられた


Timbalandがプロデュースしたこの曲も大ヒットとなったわけだが、この曲はサンプルが原因で関係者ほぼ全員が訴えられている。Saregama Indiaという会社に権利侵害で2007年に訴えられ、さらにAftermath EntertainmentからリリースされたTruth Hurtsの「Addictive」でも同じ会社に訴えられている。

 

⑤ 初週で58万枚を売り上げる


このアルバムは他のアルバムとは比べ物にならないスピードで売れている。初週では587,000枚であり、最終的には全世界で500万枚以上の売上を誇っている。

 

いかがでしょうか? The Gameは最近では性的暴行の件で裁判沙汰なったりしているが、去年リリースした「1992」はなかなかオールドスクールを意識した作品であったので、是非聞いて欲しい。しかしドレーやTimabalandが参加している「The Documentary」は今だもThe Gameの最高傑作と言っても過言ではないだろう。

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