Jay-Zの4:44のイントロ「Kill Jay Z」を聞いて浮かんだ疑問とは?アートと主観と疑うことについて
4:44の話題
も少しづつ落ち着いてきたと感じる。海外メディアでは様々なレビューや解説が次々と出てきており、この作品がいかに人々の心に刺さった作品かがわかる。PlayatunerでもTidalで配信された当日に一回だけ聞いてレビューをした【一聴レビュー】を公開しているので、是非チェックしてみて頂きたい。
この作品のなかでも、特に話題になっているのは、散りばめられたディスの疑惑である。特に皆さんが気になっているのはカニエ・ウェストに対してのラインであろう。4:44では数々の曲でカニエ・ウェストにたいしてと思われるレファレンスが出てくるのだが、今回はイントロであり、このアルバムを最も上手く表している楽曲「Kill Jay Z」と聞いたときに感じた「違和感」について書きたい。
この曲はJay-Z本人が「自分のエゴを殺す曲だ」と語っており、今まで彼が抱えてきた問題や過ちを懺悔しているような曲だ。「Kill Jay Z」というタイトルからもわかるように、彼は今回のアルバムでは「Jay-Z」というハイフンがある名前に戻したにも関わらず、この曲ではハイフンなしで表記されている。それは恐らく長年使用した「Jay Z」というエゴの塊の過去の自分を殺し、再度「Jay-Z」に戻り、前に進むという意味が込められている。
違和感
この楽曲にて注目されているラインは、先程書いたようにカニエ・ウェストに対して書かれたラインであろう。こちらのリリックである。
But you got hurt because you did cool by ‘Ye
You gave him 20 million without blinkin’
He gave you 20 minutes on stage, fuck was he thinkin’?
“Fuck wrong with everybody?” is what you sayin’
But if everybody’s crazy, you’re the one that’s insane
お前は’Ye(カニエ)にヤラれたから傷ついたんだ
お前は瞬きもせずに20million(23億円ほど)を彼にあげた
でも彼は20分しかステージをやらなかった。あいつは何を考えてるんだ
「皆おかしいんじゃないか?」ってお前は言っているけど
もし皆がおかしいのなら、おかしいのは逆にお前だ
こちらの前半はカニエ・ウェストがツアーの前金(それかTidalの契約金)だけもらって、ステージで20分Jay-Zとビヨンセについて愚痴を言った後に、結局ツアーをやらずに入院したことだろう。しかし私がひっかかったのは「皆おかしいんじゃないか?」のラインからの2行である。こちらは世間的にも、米国のメディアでも、Jayがカニエに対して「もし皆がおかしいのなら、おかしいのは逆にお前だ」と語っていると報道されている。実際にカニエは精神的問題から入院もしていたので、彼を指していると思う人が多いだろう。
しかし他の解釈もできると感じる
そもそもアートを見るときに「正しい解釈」というものは存在しないというのが私の個人的意見であるが、私はこの解説を見たときに違和感を感じた。私が個人的に覚えた違和感をここで解説したい。
「視点」の話
私がリリックを聞いたりするとき、意識していることがある。それは「どの視点で語られているか?」ということである。以前「エミネムとケンドリック・ラマーが多用する多重視点」という記事でも書いたが、ポエトリーを理解するにおいて非常に重要な点となってくる。それではこの「Kill Jay Z」はどうだろうか?この「Kill Jay Z」であるが、基本的にはハイフンがある「Jay-Z」が「Jay Z」に語っているという視点になっている。例えば最初の4行を見てみよう。
Kill Jay Z, they’ll never love you
You’ll never be enough, let’s just keep it real, Jay Z
Fuck Jay Z, I mean, you shot your own brother
How can we know if we can trust Jay Z?
Jay Zを殺せ、彼らはお前を愛さない
お前は充分ではない、リアルな話をしようJay Z
ファックJay Z、だってお前は自分の兄を撃ったし
お前のことを信頼していいかなんてわからない
そう、ここでの視点は「語り手:Jay-Z」であり、「お前(You)」は「Jay Z」を指している。語り手に関しては第三者の声という説も考えられるが、そこは自分を客観的に見ているという点で、ハイフンありの「新Jay-Z」と言えるだろう。重要なのはこの「You」が表している人物だ。この曲はずっと、最初から最後まで視点が変わらずに「You」が「Jay Z」、すなわち「自分のエゴ/過ちを犯した自分」を指しているのだ。これは曲の最後まで変わらない法則であり、彼がこの曲に込めた「自分のエゴを殺す」という想いがいかに強いかということが伝わってくる。
「You=自分」の法則?
それをふまえた上で、先程のカニエに対してのラインを見てみるとどうだろうか?もしこの最後の二行もカニエに向けられているとしたら、この二行だけ「You」が自分ではなく、カニエにすり替わっているということになる。そう、この「カニエに”お前がおかしい”と言っている」という解釈だと、楽曲の視点を統一した「You=自分」という美しい法則性を、この二行のために崩したことになる。彼のようなポエトリーのマスターがこのようなことをするだろうか?私自身はリリシストとしても、この統一された法則性を、二行のために崩すことにとても違和感を感じる。もし本当にカニエについて「お前がおかしいんだ」と言いたいなら、むしろ「You=自分」のまま、どうにか違う言い回しを考えるだろう。
そのように考えると、このカニエに向けられた五行は一括りにするべきではなく、3:2で分けるべきなのではないか?と私は感じる。最初の三行では「カニエ・ウェストにヤラれたこと」であり、その後二行は大変な状態になってしまったカニエに対して傲慢な心を持ってしまった「自分」に向けている可能性もあるだろう。有名になりすぎて、パワーもありすぎるため「俺以外全員おかしい」というパラノイヤのような精神になってしまっていたのではないだろうか?また、様々な解釈ができるように、わざとこのような表現をしている可能性もある。
聞いた瞬間には、いとも簡単に「カニエのことかな?」と思わせるが、視点の法則性を崩さないことにより「あれ?これ違うかも…」と疑わせてくれるのだ。素晴らしいリリシストはストレートな言葉だけではなく、このように複数の可能性をチラつかせ、リスナーの頭を働かせてくれる。これこそ真の「サブリミナル」なのかもしれない。「カニエをディスってる!?え?やっぱ違う?もっと注意深く聞いてみよう!」となるように、リスナーの心をコントロール下に置いているのだ。
主観と疑うこと
先程は「Kill Jay Z」を聞いたときに疑わせてくれることや、視点と主観について書いた。これに関してはリスナー視点でも同じことだと感じる。先程も書いたが「アートに正解なんてない」というのが、作り手としても、聞き手としても私が大切にしていることだ。このような作品というものは、聞く人によって解釈が違うこと自体が美しいと感じる。このように「疑わせる」ことができる作品は素晴らしい。
「Kill Jay Z」に関しては、「カニエを直接ディスってる!」という解釈の人もいれば、私のように「本当かな?」と違和感を紐解こうとする人もいる。作った本人じゃないと、どちらが正しいかはわからない。むしろ本人が「正解」と思っていたことと違う解釈を、受け手が感じ取り、それが徐々に一人ひとりの「正解」になっていくこともあるだろう。そのため作品の解釈に一つの「正解」なんてないのではないか?というのが私のアーティストとしての意見でもあり、音楽ファンとしての意見でもある。「Playatunerってなんで【感じる】って構文を頻繁に使うの?」と聞かれることが多々あるが、結局レビューも解説も考察も私が「感じた」ことに過ぎないからである。むしろアートの解釈を勝手に断定してしまうことほど、この情報社会にて危険なことはないと感じる。私が非常に尊敬しているヒップホップジャーナリストのJustin Hunte(元HipHopDXチーフエディター)という人がいるのだが、彼は毎回自身の解説動画の最後に「◯◯なのだろうか?答えはわかりません。」という決まり文句を入れる。彼の動画を見ると、考えさせられるのはそのためだろう。
そのような意味で、Jay-Zの「Kill Jay Z」は非常にわかりやすく「解釈」がわかれた曲である。このように各々の作品の「正解/解釈」を表現しあい、前向きに話し合える世界になれば、コアな音楽ファンの数は増えるのかもしれない。Playatunerでは、読者からのリプライ数が多いのだが、これも素晴らしいことだと感じる。
ちなみに私が「感じた」ことを本人に聞き、語ってもらう場がインタビューであり、下記はまさにそんなインタビューであったのでチェックして頂きたい。
ライター紹介:渡邉航光(Kaz Skellington):カリフォルニア州OC育ちのラッパー兼Playatunerの代表。umber session tribeのMCとしても活動をしている。
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