「助けを求めてもいいんだ」Vic Mensaのデビューアルバムに込められた理念から見る「痛みを自覚すること」

 

 

内と外

アーティストを作品を聞いたり、インタビューを見たりするときに意識していることだ。内面的な感情をリリースするアーティスティックな部分、そしてそれが外の世界にどのような影響を与えるか?この内外のバランスが素晴らしいアーティストたちが常に人々の心を動かしてきたと感じる。2Pac、ケンドリック・ラマー、エミネムなどが当てはまるであろう。心の奥深くにある自分の感情と向き合い、それを発信することによって人々が「共鳴」したのだ。

エミネムとケンドリック・ラマーが共感される理由を考える。ストーリーテリングと多重視点

そんな内外の共鳴であるが、若手ラッパーでその力を持っていると感じるのがVic Mensaである。元々彼はロックスター的なライフスタイルを生きていたが、その結果様々なドラッグやメンタルの問題を抱えるようになった。そんな彼が新アルバムとその理念についてインタビューで語った。

 

Vic:この新アルバム「The Autobiography」は今までで一番書きやすかったと思う。ロックスター的なライフスタイルのせいで人生が破滅に向かっていたんだ。昔は「自分」であることや自分のリリックのルーツとなるものに注目をしていなかった。でもこのアルバムでは、全てのドラッグを辞めて、自分の人生にフォーカスをしなおした。だからアルバムタイトルが「The Autobiography(自伝)」なんだ。とてもパーソナルで、自分の脆い部分を歌ったんだ。

BigBoy:そのように表現することはあなたにとって治療にもなる?

Vic:なるね。自分の奥深くいくほど、もっと気分が楽になる。それが自分にとってのセラピーなんだ。

 

新アルバムではドラッグを辞めて、自分の脆い部分にフォーカスしたと語っている。Linkin Parkのチェスターについての記事にも書いたが、アーティストは自分の弱みと向き合う強さを持っている人が多い。そのため、音楽や表現ということで「治療」している人は少なくない。外に出さないと深層に突入したまま帰ってこれなくなってしまうのだ。その弱さと向き合う強さこそが、人の共感させるものなのだろう。彼はリリックについて語る。

 

BigBoy:Vicの音楽は、リリックをエンジョイできるのが素晴らしいと思う。一回聞いただけだと全部はわからず、聞く度に発見があるリリシズムを楽しめてることに嬉しくを感じる。もちろんヒップホップには様々なサブジャンルがあって、他のタイプの人たちを下げてるわけではない。でもそういうリリシズムのカムバックはやっぱり必要とされていると感じる?

Vic:必要だと感じるよ。特に今は様々な人が痛みを感じているし、ストラグルしている人たちがいる。俺はシカゴのサウスサイド出身だけど、そこでは毎日多くの人たちが死んでいる。世の中の皆が大変なシチュエーションだし、人々はそれについて声を出してくれる音楽を求めている。もちろんパーティーラップとかも重要だし、そのためのレーンはある。俺的にはヒップホップの一要素として、人々に語りかける役割があると思うんだ。俺がそもそもラップをはじめたのは2Pacが、俺の痛みに語りかけてくれたからだ。まぁ俺は11歳とかで、その時は「学校を停学になった…」みたいな問題だったりしたけど。

別に全員がそのようなことについて語る責任があるとは思わないし、もしそれが「自分」でなければ、発信しなくてもいいと思う。でもその痛みや問題について知っているのなら、発信する責任はあると思う。

 

様々な人が痛みを感じており、ストラグルしている世の中ではこのような音楽が必要になってくると語った。「ヒップホップ」として、人の痛みに語りかける責任があると彼は感じているのだ。その痛みに語りかけることも必要であるが、私が個人的に必要だと感じていることがもう一つがある。それは「その痛みを受け止める世の中」である。それについて彼はこのように語った。

 

Vic:このアルバムではメンタルヘルスや薬物依存について話したかった。そのような内容は、ヒップホップではあまり語られなかったり、黒人コミュニティではタブーのような話題となっている。だから「助けを求めてもいいんだ」と思ってもらえるような内容にしたい。皆何かしらで社会的な痛みを感じていて、それを和らげるために独自療法でリーンやパーコセットのようなドラッグを摂取してる人は多い。でも誰も解決しようとしている問題の本質を考えないんだ。

BigBoy:黒人に限ったことではないと思うんだけど、プライドのせいでそういう鬱病だったりメンタルヘルスの話題を避けている人は多いと思う?本当は誰もがなる可能性のある状態なのに。例えばちょっと鬱について話したりしたら「は?俺は鬱じゃないし」って人が多かったり、そういう話をすることに難しさを感じたりする?

Vic:それが「汚名」だと感じてしまってる人が多いんだ。そういう話をすると「は?俺はクレイジーじゃないしセラピストなんていかねぇから!」って人は多い。でも正直、皆どこか自分なりにクレイジーなんだよ。そういう自分の症状を認識することは悪いことじゃないし、皆違うレベルで物事を感じるってことを知ってほしい。だから俺は自分の音楽で、自分の脆い部分を表現する。それを聞いて、今まで自覚する勇気がなかった人たちに「あぁ、こういうこと言っていいんだ」と感じてほしい。

 

「助けを求めてもいいんだ」と感じる人が増えることを願うVic。この辺についてはPlayatunerでは「ヒップホップの鬱症状」などの記事でも何度か書いている。マスキュリンな状態が格好いいとされてきたカルチャーでは、このような話題に躊躇する人も多いだろう。そのため自分がそのような状態であることを認めずに、問題の本質が解決できる前に、薬物に頼ってしまう例などは多いのではないだろうか。誰でもそのような状態になるし、その状態を認識することは全く悪いことではないと語る。今の社会に必要なマインドセットなのではないだろうか。

しかしこれは「風潮」だけの話ではないのかもしれない。プロフェッショナルな環境でセラピーを受けたら、その後保険に入れなかったり、ローンを組めなくなったりする現実もある。保険やローンもビジネスとして考えれば合理的なのかもしれない。しかしそのような状態で苦しんでいる人たちがさらに「人間扱いされてないな」と感じてしまう要因になる可能性がある。Vicが言うように、「世の中皆どこかクレイジーで、誰でもなる可能性がある。だから恥ずかしいことではない。」というメッセージが広まることを願う。

このような素晴らしいメッセージを伝えているにも関わらず、このインタビュー動画のコメント欄には、Vicと一悶着あったヒップホップYouTuberのファンからの酷いコメントが大量にあるのが残念である。

アーティストとメディアとリスナーの関係について考える。Vic MensaとユーチューバーDJ Akademiksの確執からわかる「恐ろしさ」

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