Kendrick Lamarが「コンシャス」であることについて語る。50 Centから学んだこととは?
ケンドリック・ラマー
については本当に頻繁にPlayatunerにて書いている。ちょっと多くない?と思う方もいるかもしれないが、それは私が彼の考えに共感することが多かったり、そこから考えさせられることが多いからである。彼の考えに共感するにしても、共感しないにしても2010年代で最も重要な声の一つとして、注目するべきだと感じる。
以前そんな彼のForbesのインタビューから「前に進み続ける糧」というテーマで紹介したが、今回同インタビューが文字起こしされ、こちらにて公開されているので、そこで前回カバーできなかったことを紹介したい。今回紹介するトピックは以前からPlayatunerで取り上げているトピックでもあり、「コンシャス」であること、レジェンドと新人、そしてロールモデルとしてという3つに分けることができる。
ZOG:人々はあなたのことを「コンシャス」なラッパーだと呼びます。実際そのレッテルについてどう思いますか?自分をどのようなラッパーだと思いますか?
Kendrick:皆自分の意見もあるだろうけど、俺はいつも50 Centが言っていたことを思い出すんだ。そして彼が言うことによって、それはもっと納得いくものとなった。彼はこのように言った。
「俺らは全員コンシャスなんだ。それはお前がギャングスタ・ラップと呼ばれる音楽をやっていたとしても、他のジャンルをやっていたとしてもそうだ。それはお前が生きてるからで、自分の本当の気持ちを伝えているからだ。それは本物の気持ちであり、自分がその気持ちにコンシャス(意識している)ということになる。注意深いということだ。シンプルなことだ。」
彼がこの発言をしたとき、俺はインスパイアされた。それと同時に自分の言葉が人々に与える影響と、その影響が自分の仲間たち以外にも及ぶということに気がついた。
彼は「コンシャス」ということについて50 Centから教わったことを語った。「コンシャス」なラッパーと言うと、どうしてもイメージ的に社会にて起こっている問題について意見を述べているラッパーというふうに思われる傾向があるが、50 Centによると自分の本当の気持ちを「意識」して、伝えている限り「全員コンシャス」なのだ。人は誰もが違うことを感じる。それは同じものを見たときも、人生経験や理念によって違ってくるものだ。そして自分が感じていることを素直に語り、伝えようとしている限り「コンシャス」という意味なのだろう。そのため、人が感じている「リアリティ」にたいして、ケチをつけたり、「自分のほうが優れている」という感じ方をするということは、他人が一生懸命考えた「コンシャス」を否定するものなのだろう。
さらに彼は近年のラッパーたちにたいしてこのように語った。
ZOG:影響というのを考えると今ヒップホップでは「マンブルラップ」というものがあって、それとは逆にあなたのようなリリックの大切さを実感させられるラッパーもいます。どのような責任が出てくると思いますか?
Kendrick:責任か…音楽にフォーカスして、正気でいられるようにするためには、「自分がどこから来たのかというルーツ」を忘れないことだと思う。例えばヒップホップだと、俺がここに立つための土台を作ってくれた人たちだ。それはいつも俺の心に置いていることだ。それを良いように使いもしないし、間違えた使い方もしない。
でもそれと同時に、進化をしていかないといけない。俺はヒップホップに進化を続けて欲しいんだ。だから俺は全然違うスタイルのアーティストを遠ざけたりはしないんだ。でも俺は彼らに会うときこのように伝える。「自分自身でいよう、でも同時に誰が土台を作ったかも知ろう。インタビューとかでディスリスペクトをするのは止めよう。もちろん自分の意見はあるし、嫌うこともあるだろうけど、リスペクトはしないと駄目だ」最終的には、自分自身で独自のスタイルをやりつつ、土台を作ってくれた人たちをリスペクトすることによって「進化」をするんだ。
最近あまり見なくなった気がするが、「レジェンド V.S. 新人」という構図は以前からあった。そのなかで、ケンドリックは「先人へのリスペクト」が音楽にフォーカスできる理由であり、その気持ちに独自のスタイルを組み合わせることにより「進化」すると語った。これは以前初期Playatunerにて書いた「最近の若者は先人たちをリスペクトしないという批判について」という記事にも非常に共通することであると感じる。
ケンドリックが言うように、自分たちが立つための土台を作った人たちをリスペクトすることは、非常に重要だ。しかしそれと同時に、若者がやっていることもリスペクトし、頭ごなしに否定しないということも重要だと感じる。そして最も重要なのが、新しいことにチャレンジする若者たちが先人たちへのありがたみを感じることができる「プラットフォーム/機会」を作ることだと個人的に感じる。そのような機会が全くない状態では、正直「知らない」ということは責められることではないのではないだろうか?「自分で調べろよ」という反論ももちろんあると思うが、「知らない」という状態でアグレッシヴな意見がくると、それは「恐怖」に変わる。そしてその「恐怖」が徐々に「嫌い/ヘイト」という感情に変わっていくのだろう。そのため、「知らない=恐怖」とならないためにも、その「土台」を作ることが大切なのではないかと個人的には感じている。
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