ノースカロライナ出身の日系リリシスト「G YAMAZAWA」インタビュー!ポエトリー、アジア人ラッパーのコミュニティ、夢への恐れについて語る

 

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アメリカにて活動するアジア人ラッパーとして

このようなテーマの記事は、以前Dumbfoundeadのインタビューを元に書いた。彼はLA出身のコリアンアメリカンとして、多くのアジア人ラッパーたちに影響を及ぼしてきた。近年では88Risingの影響もあり、多くのアジア人アーティストたちが米国でもカムアップしているが、長いキャリアを培っているという意味ではDumbfoundeadがパイオニアであろう。

LAを代表する韓国人ラッパー「Dumbfoundead」が語る。現代のアメリカにて移民であることとアジア人ラッパーであることについて

 

そんな彼のツアーに参加し、現在徐々に米国でファンベースを広げている日系アメリカ人のラッパーがいることを知っているだろうか?彼の名前はG YAMAZAWA(Gヤマザワ)だ。彼のデビュー・アルバム「Shouts to Durham」に収録されている「NORTH CACK」(下記で紹介)がリリカルヒップホップファンの間でバズったのもあり、彼の名前を聞いたことをある人もいるかもしれない。

 

そんな彼が私用で日本に来ていたとき、たまたま私がインスタグラムでメッセージしたことがきっかけで急遽当日にインタビューをすることになった。終始英語で会話をしていたが、たまに出る「わかる」や「すごい」といった日本語の言葉が非常に印象的であり、自分の生い立ちにも重ねながら話を聞くことができた。メッセージした当日にインタビューをすることになったので、何も準備をせずに話しにいった感じであったが、興味深い話を聞けたのでPlayatuner復活第一弾インタビューとして公開させて頂いた。

 

Kaz(以下K):どこ出身なのですか?

G YAMAZAWA(以下G):生まれも育ちもノースカロライナ州のダーラムって町だよ。DCに数年住んでたこともあって、今はLAに住んでるよ。

 

K:ノースカロライナといえば、本当にスキルフルなMCがたくさん出てきてますよね。PhonteJ. ColeRapsodyも…

G :本当にそうなんだよね。King Mezもノースカロライナだよ。知ってる?Dr. Dreの「Compton」の多くのリリックを書いたやつ。

 

K:知ってます!今アルバム製作中らしいですね。随時情報チェックしてます!

G:そんなノースカロライナの一部であることを誇りに思うよ。Little Brotherから、今言ったアーティストまで、本当にノースカロライナは素晴らしいリリシストを輩出しているね。

 

K:今名前が出たアーティストたちとコラボとかってしたことありますか?

G:King Mezは同世代だから、彼がAftermathと契約する前から会ったりしてたよ。彼もLAにいるし。でもRapsodyとか9th Wonderは会ったことないね。Phonteは何回か会ったことあるから一応知ってるかな。俺が普段一緒にいるやつらはほとんどアンダーグラウンドけど、「NORTH CACK」がバズって絶対に何人かは俺のことを聞いたと思うよ。J. Coleは絶対このMV見たと思う。

 

K:いいね。今LAのどこに住んでるんですか?

G:イングルウッドだよ!

 

K:イングルウッドのフッドに住んでる感じですか?

G:いやー、実際はイングルウッドの外れのほうで、ストリートにいるわけではないしイングルウッドをレプリゼントしてるわけではないんだよね。でもイングルウッド内ではあるし、良い所だよ。凄い速さで町も変わってきてるし。

 

K:ジャパニーズアメリカンとしては2世ですか?

G:そうだね。多分「新二世」って言うんだと思う。親が1979年ぐらいに大阪から渡米して、ノースカロライナに店をオープンした感じだね。

 

K:日本からノースカロライナに移住するって結構レアなケースじゃないですか?

G:そうなんだよ。親は最初フロリダにいたんだけど、移民は基本的に仕事がある場所に移るから鉄板焼屋さんの仕事があったノースカロライナ州に移住したんだ。そこで母親がデューク大学で日本語教師のアシスタントの仕事をゲットして、ノースカロライナに根を張った感じだね。それから親は31年間ノースカロライナで日本食レストランをやってるよ。

 

2000年前半はヒップホップ的に面白い時代だった

 

K:どのようにして音楽の世界に入ったのですか?

G:最初は本当に他の誰もが通る道だったね。小さい頃にヒップホップに惚れた感じだよ。最初はグラフィティにハマって、そこからダンスにハマって、友人たちと暇つぶしのためにフリースタイルしてたね。そこから徐々に自分が「言語」を使う才能があると感じて、言語を使って自分の考えを口に出すのが好きだと気がついたんだ。13歳ぐらいのときにMCingを真面目に練習しはじめたかな。ちょうどLittle Brotherとかを聞いて「彼らもダーラム出身なのか!」ってなってたのもそのぐらいの時期だね。

 

K:ちょうど2000年代前半にヒップホップに入った感じですね!多分同世代だと思うんで、俺もちょうどそんな感じです。ただ俺はChingyとかめっちゃ聞いてましたけど(笑)

G:そうそう!(爆笑)G-Unitとかも聞いてたなー

 

K:当時G-Unitのシャツ着てました(笑)

G:当時はヒップホップにとってかなり面白い時代だったと思うよ。ギャングスタ・ラップが「ポップ」なものとして広まった時代だったし、ヒップホップが巨大市場になった時代でもあったと思う。もちろんそういうアーティストやLil WayneやDipsetとかも好きだったけど、Little Brotherが自分が「MC」であることを常に意識するきっかけであったと思う。とても興味深い時代だったね。

 

K:そうですね!それは俺も同感です。

 

ノースカロライナに移住した親の元に生まれ、2000年代前半のヒップホップを聞き、ヒップホップの世界に入ったというG YAMAWAZA。アメリカの義務教育では、ポエトリーの授業の一環で、韻を学ぶ地域が多いのだが、学校で習った楽しいアクティビティと、好きな音楽が脳内でリンクしてヒップホップにハマる子供も多いのだ(私もそうであった)。「言語」を使って自己表現する美しさ/楽しさにのめり込んだ彼は高校からポエトリーの世界に入る。

 

一番の夢を追いかけることを恐れていた

 

K:プロフィールには「ナショナル・ポエトリー・スラム」のチャンピオンと書いてありますが、それについて教えてもらえますか?

G:そう、さっき言ってなかったけど、13歳から16歳ぐらいまではMCになりたくてレコーディングとかしてたんだけど、16歳のときにポエトリーの世界に入ったんだ。アメリカにはポエトリーの大きなコミュニティがあって、「ポエトリー・スラム」というのはスポークンワード(詩を語るジャンル)で競うものなんだ。当時ポエトリー・スラムを発見して、自分にとって「言語」でクリエイティブになりながらも、自由にストーリーを伝えることができる場所となったんだ。

2007年のことで、ちょうどヒップホップではSoulja Boyとかが出てきた頃だったし、もしラップを続けたいのであれば、自分のリリックに妥協しないといけないと感じてたんだ。だから言語を使い、自分を最大限に表現する上で、ポエトリーが自分の人生にとって重要なものとなった。17歳から24歳までは、たまにラップもしてたけど、ポエトリーが人生のメインだった。20歳ぐらいときからポエトリーでツアーとかもするようになって、全国大会も優勝したんだ。それで自分の名前を世に出すことができたし、いろんなアーティストと繋がりを作れたのも良かったね。

 

K:自分もその話かなり共感できます。実は俺も2007年ぐらいにメインストリームのヒップホップから遠ざかって、昔のメタル/ロックにハマったり、Jedi Mind Tricksとかのアンダーグラウンド・ヒップホップを聞き始めたんで、その気持は理解できます。何がきっかけでラップに戻ったのですか?

G:そのときフルタイムでポエットとしてツアーしたりして生活してたんだけど、クリエイティブ的にも限界を感じたんだよね。ある晩、ホテルに一人でいるときに、「Flava In Ya Ear」のビートをかけてひたすらラップを書き続けたんだ。次々にパンチラインが思い浮かんで、そのときに「あぁこれが俺の夢なんだ。俺はMCになりたかったんだ」って気がついたんだ。

 

G:俺はずっと夢を追いかけるのが怖かったんだ。特に「一番の夢」を追いかけて、その周りに人生を形成するのを恐れる人は多い。でもそれに気がついて、「自分のために生きてないな」と感じて、自分の行く道を変更したんだ。そこからミックステープ作って、EP作って、フルアルバムを作ったんだ。

 

K:それって何歳ぐらいのときですか?

G:ミックステープが「23」ってタイトルで、24際の誕生日にリリースしたんだ。2014年にラップに戻った感じかな。

 

K:いやー、でも本当にその「一番の夢を追いかける恐れ」という気持ちわかります。俺は実はライターになりたいわけじゃないんですが、ありがたいことに多くの人に記事を読んで頂いてて。でも本当は結構長いことラップをやってるんですよね

G:へーそうなんだ!

 

K:実際はファンクバンドもやってたりするんですけど、ずっと音楽にフルコミットするのが怖かったんですよ。だから理由つけてビジネス側もやると言って、自分で会社をやる方面に行ってみたり…

G:わかる。その気持ち。

 

K:でもこの半年ぐらいで、「まじで音楽もグラインドしないとヤバイな。ずっとこんな感じじゃ生きていけない」とか思って。

G:でもそれって美しいことだと思うんだよね。人間は成長して進化するから、段々それをやってる罪悪感を感じなくなってくるけど、その経験をふまえた上で、ある日自分がやるべきことの啓示を受ける。例えば君に関しては、素晴らしいヒップホップのプラットフォームを作ってるし、その経験は絶対にプラスになる。俺に関しては、ポエトリーを通じて、詩を書く芸術性や、ポエットとしての心を手に入れたし、多くの素晴らしい人と繋がることができた。もしその経験がなかったら、ラッパーとしてもっと苦労してたと思う。

 

K:全てはサイクルとなってて、返ってくると思うんですよね。

G:そうそう。サイクル

 

人生相談みたいな感じになってしまったが、「一番の夢」を恐れる人は多いのではないだろうか。しかし、その二番目の夢のために全力で動いた経験は、一番の夢にも活きるとG YAMAZWAは語る。彼の場合、ポエトリーを全力で追いかけたからこそ、リリシストとして卓越したスキルを得ることができたのだろう。この経験が巡り巡って自分の一部になる「サイクル」という概念はPlayatunerでも取り上げている言葉である。

さらに彼がカムアップする上で、重要視していることを聞いてみた。

 

自分の作品の一番のファンであり、一番厳しい批評家でもある

 

K:さっきの「一番の夢」を追いかけるのが怖いというのは、共感する人はかなり多いと思います。特に日本だと社会的にも、「自分のやりたいことをやる」ということは難しい気がします。「親や先生の言うことは絶対」みたいな価値観を持った人は少なくないのかなと。そんななかで、アーティストがどのようにしてカムアップしたか?どのようにして追いかけたか?ということを発信するのが重要だと感じています。

今ちょうどカムアップ中だと思うんですけど、自分のグラインドやカムアップする上で意識していることや、アドバイスとかってありますか?

G:俺が意識してる言葉がいくつかあるんだけど、「自分は、自分の作品の一番のファンである必要もあるし、一番厳しい批評家である必要もある」ってのは重要かな。誰になんと言われようとも、自分が作ってるものを本当に愛していないといけない。でもそれと同時に、自分の作品を最も厳しく批評しないといけないんだ。誰かに厳しく批評されたときに、それ以上厳しい批評をすでに自分でしていないと、他人の批評を受け止められなくなる。

 

K:そうですね。また、さらに前に進むためにも、自分の作品を厳しい目で見るのは重要ですね。自分の作品に完全に満足してしまったら、それ以上前に進めないですしね。

G:まさにそう!他にも  「遠く、無理だと思われる目標を追いかけるほうが、その目標が生み出す”前に進む力”をごまかすより、はるかに良い」ということも意識してるかな。例えば「1位は無理そうだし、2位を目指そうかな」って思うかもしれないけど、無理に思える目標に向かって努力すると、その人生のコンディションが前に進むエネルギーを生み出すんだ。

自分の哲学がどこから来てるかを考えると、俺は【金よりアート】が好きなんだ。自分の作品や文化への愛は、金への愛よりも大きい。そして俺は【アートより人】が好きなんだ。

 

K:ということは【金<アート<人】という構図ですか。

G:そうだね。もし金に囚われていたら、自分のアート/表現は苦しむ。でも自分のアートに囚われて固執していたら、人間関係が苦しむ。自分のアートは、人間関係をベースに表現されるから、人間関係が上手くいってないとアートも苦しむ。自分のアートは世界と繋がる重要なものだから、もし人間関係が良好じゃなかったら本末転倒だ。

 

K:逆に日常生活を生きることによって、そこで感じたことからアートが生まれる。

G:そうそう。

 

彼の哲学をふまえ、自分がどのようなことを意識しているかを教えてくれた。「自分は、自分の作品の一番のファンである必要もあるし、一番厳しい批評家である必要もある」という言葉に共感するアーティストは多いだろう。もちろん自分が作っているものを愛さないと続けることはできないが、自分の作品に対して一番厳しい意見を持っていないといけない。それはもちろん前進し続けるためでもあり、他人の批評を乗り越えるためでもあるという。特にソーシャル時代では、様々な箇所から様々な言葉が飛んでくるので、重要な心意気かもしれない。

また、冒頭でも説明したように、彼はLAのKタウン出身のパイオニア的存在Dumbfoundeadのツアーにも参加した。そのこともふまえ、彼はアメリカのヒップホップ界の「アジアン・ラッパー」のコミュニティについても教えてくれた。米エンタメ業界ではアジア人のアーティストはまだマイノリティであるため、非常に興味深い話であった。

 

K:Dumbfoundeadとツアー回るって発表されてましたね!

G:そう!

 

K:俺Dumbfoundeadの大ファンなんですけど、一回お会いしたことあるんですよね。なぜか中目黒のクラブにいて、酔っ払って友達とサイファーしてたら、彼が乱入してきて(笑)多分彼は覚えてないと思いますが

G:ハハハ!彼はどこでも誰とでもサイファーするよな(笑)

 

K:どのようにして彼のツアーに参加することになったのですか?

G:実は結構長いことお互いを知ってて、アジアン・アメリカンのオーディション/タレントショーみたいなやつに俺が出演したときに、Dumbfoundeadが審査員やってたんだよね。俺は当時ポエトリーで出場したんだけど。そこから結構同じ大学のライブとかにブッキングされることが多くて顔見知りになった感じだね。

アジアン・アメリカンのラッパーのコミュニティは小さくて、LAに引っ越してから彼と関係性を深めた感じだね。そこから彼とかFar East Movementとかが参加している「Transparent Agency」とかと関係を持つようになって。そこからは自然な流れでツアーに呼ばれた感じかな。

アジアン・アメリカンのラッパーって皆結構お互いのことを知ってて、別にコンタクト取らなくてもなんだかんだ皆ネットとかで情報が入ってくるみたいなコミュニティなんだよね。皆世界からMCとして認められたいから、アジア人同士で常に一緒にわけじゃないんだけど、自然に集まるよね。

 

K:結構今アジアン・アメリカンのラッパーが台頭してきてる感ありますよね。

G:88Risingとかの影響も大きいよね。

 

K:全体的にアメリカで活躍する日本人のラッパーはまだ少ない気がします。

G:そうだね。俺もそう思うよ。まぁ単純にアメリカに住んでる日本人の数が中国人と韓国人に比べて少ないというのもあると思う。

 

K:確かに小学校とかでも、アジア人でも中国人と韓国人のほうが全然多かったかな。

G:そうだね。日系アメリカ人だとMiyachiとかは知っているよ。

 

K:MiyachiはPlayatunerでも以前インタビューしたんでよね。KAZUOって知ってます?

G:知ってる知ってる!彼はホーミーだよ。彼は今ドライブ力を持ってるから、期待してるよ。

 

K:前にDumbfoundeadが「今のアメリカだと、”国に帰れ!”みたいなこと言ってくる人がいるけど、実際に韓国に行ってみたら、どれだけ自分がアメリカ人かを思い知った」って言ってたんすけど、そういう自分の「居場所」に疑問を持つ気持ちってありますか?

G:もちろんあるよ。多分移民の子供たちは皆感じてると思うよ。自分の「居場所」を探してると思う。でも多分移民の子供たちだけではなくて、世の中の皆が「居場所」を探してるんだと思う。その居場所が2つあるということは恵まれてることでもあるし、逆にどちらでも「外国人」であることによって多くの文化に共感できる部分もある。「よそ者」である気持ちが理解できるから、多くの人たちと共鳴できる。それと同時に、コミュニティに受け入れてもらえることもできる。そういう「グローバルな市民」であるのは新しい時代のコンセプトかもね。

 

「居場所」、これは私が音楽やスケートボードなどのストリートカルチャーと触れ合うときに最も重要視している言葉である。以前「スポーツと音楽の教育感の違い」という記事でも書いたように、必ずしも自分が住んでいる国や通っている学校に「居場所」を見つけることができる人ばかりではない。そのなかでヒップホップなどの音楽は多くの人たちに心の居場所を提供してきたように思える。G YAMAZAWAもその一人なのだろう。彼はどちらでも「外国人」という気持ちをポジティブにも捉え、「よそ者」「マイノリティ」の経験があるからこそ、より多くの人たちと共鳴できると語る。彼のような「グローバル単位なCitizen」は今後も増えていくだろう。そして複数の文化で、多くの人たちの感情が交差する世界を経験してきた彼が書く詩は、今後も様々な層と「共鳴」することが予想できる。

最後に、彼が「はじめての日本語の曲」をリリースしたようなので、貼っておく。こちらはMIYACHIとPablo Blastaをフィーチャリングしており、キャッチーなバンガーとなっている。

 

また、Chance the Rappperなどのエンジニアを担当しているElton Chuengが語る「アジアンラッパーのコミュニティ」というテーマもオススメだ。

Chance the Rapper、Noname、Sminoなどを担当したグラミー受賞エンジニアElton Chuengと語る。シカゴ・ヒップホップの事例から学べること。

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