ケンドリック・ラマーとKobe Bryantが「グレイテスト」への道のりついて語る。愛だけじゃない「不安、怒り、恐怖」
G.O.A.T.
「グレイテスト」はどの分野にもいる。実際に「グレイテスト」というのは主観なので、人によって様々な人物を思い浮かべるだろう。そのなかで、現代ヒップホップ界の「グレイテスト」と言ったらケンドリック・ラマーの存在を思い浮かべる。現代の若者に与えた影響、チャート上での存在感、アルバムのクオリティとコンシステンシーを考えると「現代で最も偉大なラッパー」の肩書に相応しいように思える。
そんな「グレイテスト」であるが、バスケ界の「グレイテスト」と言ったらKobe Bryant(コービー・ブライアン)は確実に候補に入るであろう。もちろんジョーダン派の人も多いと思うが、Kobeも非常に多くの記録を保持しており、彼も「グレイテスト」の肩書を持つべき人である。そんなラップ界のグレイテストとバスケ界のグレイテストの2人が「グレイト」であることについて語った動画を紹介したい。
➖ 初期の自分と成長してからの自分
Kobe:キャリア初期の背番号8番を着ていたときと、24番を着ていたときの俺は全く違う人物だったよ。このリーグでカムアップするということは、全員をまさにヘッドハンティング(※1)するようなことなんだ。自分の居場所を確立して、「俺はここにいるんだ」と皆に知らせないといけないからな。そして自分が「成長」して、大人になると「24」を着ていたときのようになる。自分が支配をすることより、他の人たちの成長を手助けすることのほうが重要になってくるんだ。グループとして、どうやったら一定のレベルまで引き上げられるかを考えるようになる。その違いが一番大きいかな。でも「8」時代に「狩り」をしていたからこそ、「24」の人物になれたんだ。
Kendrick:K.Dotのときと、ケンドリック・ラマー/Kung-Fu Kennyのときには大きな違いがあるよ。まさにKobeが言ったような違いだ。K.Dotのときは、リリシストとして最強になる準備をしていた時期だった。自分がベストになるために、「同じトラックに乗ったやつらを全滅させる」というメンタリティで活動していた。言葉遊びや韻とかで最強になると考えていたけど、当時は「ソングライティング」のテクニックを持っていなかった。そこがK.Dotとケンドリック/Kung-Fu Kennyの違いだ。俺は「Kung-Fu Kenny」を色々なもののマスターだと思っている。スタジオにいる人やホーミーだけではなく、世界中の人々が共感する「音楽」を作ることもできるし、リリシストとしてのテクニックも持っている。
※1ヘッドハンティングというと、一般的にはリクルーティングの一種だと思われるが、この文章のコンテクスト的には「狙って狩る」という意味合いが強い。
2人はキャリア初期と、成長した後の違いとして、「自分」という存在の役割を挙げた。初期は、自分が最強ということを証明するために、「自分のために」活動をしていたのだ。そこで自分のプラットフォームを築き、成長した後、活動のメインとなる意識が「自分」ではなく外に向くようになる。これは以前書いた「RZAがWu-TangのプロダクションをMathematicsに託した理由」という記事にも繋がってくる話であると感じる。そしてケンドリックの「K.Dotから改名した理由」はこちらの記事でも書いたのだが、「自分が本当に”自分”になった瞬間」が、外の世界との関わりを理解したときなのかもしれない。さらにこのように語った。
➖ 最初に始めたときから「グレイテスト」になるという決心があったのですか?
Kobe:俺は最初からベストになると決めていた。「自分にはベストになるポテンシャルがある!」って知るのはいつなんだ?どうやってそれに気がつくんだ?俺的にはそれは1日目からの「クエスト」なんだ。それが自分が選ぶ道で、それ相応の犠牲が必要になってくる。自分自身とその「契約」を結んだら、もう後戻りはできない。
でも自分のメンタリティが他の人と違うと気がついた瞬間はあって、それは俺が18歳のときに練習試合をやっていたときだ。その練習試合に負けたとき、俺は非常に怒って机とかを倒していた。その時コーリー・ブラウントが「おい、ただの練習試合なんだから別にいいだろ。落ち着け」って言ってきたけど俺は悔しくてしょうがなかった。そのときに「俺は他の人以上にバスケで勝つことに拘っているんだな」と感じたよ。
Kendrick:俺の場合は少し違くて、ずっと地元のホーミーやスタジオでラップをしていると、その観客が自分の全てだと思ってしまうんだ。特にコンプトンは小さい街だから、コンプトンで評価されてもそう思ってしまう。でも海外に出るようになって、ロンドンでライブをしたときに、最前列の人たちが自分のリリックを暗記して一緒に歌っているのを見て、意識が変わった。俺が母さんの家のキッチンで書いていたリリックを皆が知っていたんだ。それが俺の音楽にたいする気持ちを次のレベルまで持ち上げてくれた。「この言葉は俺とホーミーたちだけのものじゃないんだ。世界中で共鳴してくれている人たちがいる」と気がついて、それが自分にとっての燃料になった。
この話題にて、2人のコントラストは非常に面白いと感じる。Kobeはまさに百獣の王のようなメンタリティである。最初から自分が最強になることを知っており、最強じゃない自分を許せなかったのだろう。逆にケンドリックは、「アート/作品」という分野で勝負しているのもあり、明確な「勝敗」というものが存在しない分野の人だ。そのため、自分が他人にどれだけインパクトを与えているか?ということを目の当たりにして、はじめてそのような意味で「俺はグレイテストになるべきなんだ」と気がついたのだろう。勝敗がある世界と、「作品」の世界ではこのようなメンタリティの違いがあるのかもしれない。いずれも「自分のコミット力との勝負」になるという意味では同じであるが。さらにこちらも紹介したい。
➖ グレイトであることで、勘違いされていることは?
Kobe:皆「グレイト」になることを、単純で簡単な道だと思っているんだ。努力をすれば、いつの間にか「グレイト」になっていると思っている。でも本当はそんな仕組みではない。非常にダークな感情が多い道のりだ。自分の妨げになるようなことが多いし、その障害物に従ってに活動を止めてしまう人もいる。でも俺たちには、その障害物が燃料となるんだ。愛と同じぐらい「不安、怒り、恐怖」という要素は大きくて、簡単なことではない。まぁ簡単だったら皆が皆ライオンになっちゃうしな。世の中にはライオンも必要だし、ガゼルも必要なんだ。
Kendrick:あとは「好奇心」だな。その「不安、怒り、恐怖」を乗り越えられるかな?と気になる好奇心だ。そしてそれを乗り越えたとき、また新しいやつにチャレンジしたくなる。それが「グレイト」であることだ。
「不安、怒り、恐怖」これらはある意味素晴らしい作品には頻繁に含まれている要素である。「自分が好きなことを追求」するということは、世の中からは「羨ましい/楽だろうね」と思われるが、案外そんな簡単なことではない。好きなことを追求して、人生を証明するということは、ある意味その「不安、怒り、恐怖」という感情と向き合って、責任を持つことだと感じる。「好きなことにコミットしたいが、なんとなく飛び込めない」という人は、その「代償」として付いてくる上記の感情と向き合う覚悟がまだない、という捉え方もできる。実現できなかった理由を自分ではなく、他人に感じているほうが、人間は精神的に楽なのかもしれない。しかしそれと向き合い、「これ乗り越えられんじゃね?」とやってみることが「グレイト」への道だと2人は語る。もちろんKobeが言うように、全員が全員ライオンなわけではなく、「毎日楽しく生きれればいい」という方も多いだろう。それは幸せな人生であり、充実しているものだ。後悔しないように各々の人生を生きるのが一番!ということであろう。
そしてケンドリックが言った「新しいやつ」というのは、「新しいチャレンジ」という意味であるが、「新しい人」という意味でも捉えることができると感じる。自分が乗り越えたとき、「俺も乗り越えてみよう!」と決心する「新しい人」が出て来るのだ。それが「エンパワーメント」であり、私にとってケンドリックなどの「ヒップホップ」アーティストはそのような存在である。
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