音楽の寿命は短くなったのか?Joey Bada$$とZaytovenの発言から考える
音楽に消費期限はない
と私は感じる。70年代の音楽を聞いても今でもフレッシュに聞こえる曲もたくさんある。どんなに時間が経ったとしても、昔の音楽をDigっていても飽きないのはやはり音楽がタイムレスなものだからだと感じる。そんな音楽であるが、寿命があるのだろうか?これについて考えたいと思う。
音楽の世界でも、近年「音楽の寿命が短くなった」と発言するものもいる。その1人がJoey Bada$$である。彼は以前ツイッターにてこのように発言をした。
俺はこの時代の音楽の寿命の短さが嫌いだ…2週間経ったらお前らにとって既に古いと感じるのか?
もちろん過去の音楽にカムバックするリスナーたちも多いだろう。しかし確かに彼が言うように「サイクル」が速くなっているとも感じる。その理由を考えてみたところ、2つの自分なりの仮説が出てきたので紹介をさせて頂く。
選択肢の増加
もしかしたらストリーミング時代に突入したことにより、音楽の選択肢が増えたからという理由もあるのかもしれない。以前は「所有している」CDや音源を聞く時代であったので、聞く範囲が必然と「所有している」音楽のなかから選ばれるのが自然であった。しかし今ではストリーミングの全カタログから選ぶことができるので、脳が欲する音楽の移り変わりも激しいのかもしれない。「新しいものを買った」という体験込みで「繰り返し聴きたい」という欲求が「消費期限」を無くす原因になっていたのかもしれない。
ストリーミング時代の戦略
または、ストリーミング時代にて生き残るための戦略の一つとして「クオリティはともかく、とにかくコンスタントにリリースする」というものもあるだろう。もちろん超スピードでリリースしつつ、素晴らしい作品を残すことが出来れば最高なのだが、アートとはなかなかそうもいかないものだ。クオリティの担保より「スピード」を重視しているアーティストも多いと感じる。それは何故かというとストリーミング時代の音楽ビジネスの本質は「時間の奪い合い」だからだ。
以前「Russというビルボードトップ50入りしていないにも関わらず、ゴールド認定されたラッパー」という記事でも書いたように、現代の音楽の聞き方は以前とは変わってきている。以前はCDが売れれば正直聞かれなくてもOKであったのだが、現代は「再生された回数」が直接売上に換算にされる。そのような場合はファンの意識を、自分から離さないようにすることがアーティストとって最も大切になるのだ。
そのためとにかく超スピードでリリースしまくるのが、有効になってくる。しかしそのようなことをやっているともちろん同じような作品/曲が多くなり、全体的な消費期限が早まるのはごく当たり前の話である。その最たる例が近年のトラップなどであろう。例えばGucci Maneはとんでもなく多くの曲をリリースしているが、彼には「30年後も残る代表曲」がないと感じる。これは本人たちも「別に長く聞かれる音楽作ろうとしているわけではない」と発言しているので、本人もそう割り切って、今までの「アーティスト」とは違う目標を持って活動しているのだ。
そのようなことを考えていたときに、Zaytovenのインタビューがちょうどタイムリーな内容であったので紹介をしたい。彼はこのインタビューにてとても興味深いことを発言していた。
Zay:俺は一つのビートに10分以上の時間をかけたことがないんだ。
Sway:それは今までのプロデューサーたちからしたら「冒涜だ!」とか言われたりしないのかな?
Zay:言われるし、俺もそれが正しいと思うよ。でも今音楽はもう「フィーリング」だけの世界でもあるんだ。一緒に仕事しているやつらもリリック書かないやつとかもいるし。
Sway:世の中で言われている「同じようなサウンドが蔓延している」的なことに関してどう思う?
Zay:実際にテクノロジーのおかげで誰もが同じドラムキットを使って、誰もが同じサウンドをできるようになったんだ。テクノロジーの素晴らしさとも言えるな。それにMetroもMike Willも俺の家によく遊びに来ていたんだ。
さらにZaytovenは「Gucci Maneと仕事をやりはじめたのがきっかけかな。俺も彼もせっかちなんだ。俺らは作った曲を車で聞きたいんだけど、1曲だけを車でリピートで聞くのが嫌なんだ。車で聞くなら5曲ぐらい一気に聞きたいから、短い間で5曲ぐらい完成させたいんだ。」と語っている。
ここで面白いのはZaytovenは実際にミュージシャンとしても、かなりスキルがあるということだ。彼は単にホットなビートを作れるだけではなく、長年教会でピアノを弾いていた経験もある「ミュージシャン」なのである。そのようなZaytovenも「今の音楽業界は、長年残るクラシックを作ることを目的としていない」というようなことを語っており、それが自然な流れと割り切っているようだ。
そのようにして考えると「近年の音楽の消費期限」というものは意図的なのかもしれない。実際にそのような作品が20年後にも残るかどうかは、20年後になってみないとわからない。しかしそのなかでもケンドリック・ラマーのTPABやDAMN.は100年後に、シェイクスピアのような立ち位置になっているようにも感じる。結局は時代とテクノロジーに合わせた音と、アートとしての作品の共存/バランスが取れているので、問題はないのかも知れない。
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