Snoopおじさんは過小評価されている!?「Neva Left」に込められた想いと彼の伝説的ステータス

 

 

Playatunerが担当したライナー・ノーツ(通称:Playa Liner)こちらはSnoop Dogg「Neva Left」のWEB限定Playa Liner「Snoopおじさんバージョン」です。10月16日発売の「Neva Left」国内盤には「考察+Snoopおじいちゃんオチ」が封入されています。2つのバージョンには、内容の違いがあります。

 

 

グレイテスト・ラッパー

というフレーズを聞いたとき、誰を思い浮かべるだろうか?これは毎日のように米国の床屋や学校で議論されていることである。グレイテストの定義にもよると思うが、もし作品数/売上枚数/知名度が考慮されるとしたら、Snoop Dogg(スヌープ・ドッグ)はその候補に入るだろう。1993年に1stアルバム「Doggystyle」をリリースしてから、通算で15枚のスタジオ・アルバムをリリースしており、全世界で3000万枚以上の売上を見せている。さらには「スヌープとコラボをしたことないアーティストっていないのではないだろうか?」と思ってしまうほど様々なアーティストとコラボをしている。90sヒップホップ史上最も重要なアルバムの一つでもあるDr. Dreの「The Chronic」も、スヌープがいなかったら確実に実現できていなかったアルバムであり、16曲中13曲にライターとして参加している。

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そのように考えると作品数/売上枚数/知名度の3分野を合計したら、スヌープ以上に伝説的なラッパーはなかなかいないだろう。彼は西海岸ヒップホップ/ギャングスタ・ラップにとって間違いなく「伝説」であるが、ここまでの功績を残しているにも関わらず、近年少し過小評価されているようにも思える。そのため、この記事では私にとってスヌープおじさんがどのような存在かを、アルバム「Neva Left」を踏まえて書きたい。

スヌープが「G」であることを一般世間は忘れていたのかもしれない。マーサ・スチュワートと料理番組をやってお茶の間を笑顔にさせたり、スヌープ・ライオンとしてレゲェをやったり、ファレル・ウィリアムスとポップ/ファンクなアルバム「Bush」をやったり、多面的に活動するようになったからかもしれない。子供たちのためにフットボールのリーグを立ち上げ、コーチとしても地域にも還元していた。上記のことはアーティストにとってどれも素晴らしい活動であるが、「最近のスヌープはもうスヌープじゃない」というコメントもYouTubeにて当時頻繁に見受けられた。

 

アルバム「Neva Left」

スヌープは今年の5月に15枚目のアルバム「Neva Left」をリリースしたばかりであるが、彼はこの度またもや「Make America Crip Again」というEPをリリースしている。彼の素晴らしさの一つは「Prolific(多作)」であるが、近年はネット時代の音楽業界の流れからか、一つ一つの作品について注目されることが少なくなったようにも感じる。Neva Leftの前作であった「Coolaid」もなかなか良いアルバムであったが、特に話題にならずに収束してしまった感じがある。そのなかで、「M.A.C.A.」を彼がリリースした今だからこそ、「Neva Left」について書こうと思う。以前一聴レビューは書いたので、是非チェックして頂きたい

多作なアーティストは素晴らしいと思う反面、「想い」を前に押し出したり、説明することにあまり労力をさけない場合が多いので、一つ一つの作品が話題にならないパターンも多いとも感じる。「Lavender」のMVで話題にはなったものの、「Neva Left(一度も去っていない)」と名付けられたアルバム自体は思ったほど聞かれていないのではないか?それはもしかしたら近年のスヌープを過小評価している人たちの多さを物語っているのかも知れない。

「Neva Left」はタイトル通り、そんな過小評価コメントを吹き飛ばすような「俺は一度もラップゲームを去っていないぞ!」という内容の作品となっている。彼は「Gなスヌープ」を忘れていた一般世間に、自身が「Crip」であることを明確に思い出させたのだ。1曲目“Neva Left”はWu-Tang Clanの“C.R.E.A.M.”と同じくThe Charmelsをサンプリングしているが、こちらではまさにギャングスタ・ラップに回帰したスヌープのラップを聞くことができる。「俺はギャングバングの世界のマイルス・デイヴィスだ」と2ndヴァースで語っているが、マイルスが音楽界に与えた影響を、自分がストリートへ与えた影響に重ねている。

 

スヌープは非常にストレートに物事を伝える人間であると見受けられる。その裏表を全く隠さない人間味溢れるアーティスト性は、2Pacにも通じるものがあると感じる。スヌープに関しては、趣味/趣向が頻繁にスイッチするので非常に多様性のある表情を見ることができる。Snoop Lionとして「No Guns Allowed」という、「銃事件を撲滅しよう」というテーマの曲をリリースした経験もあれば、またGなスヌープに戻り、上記のような曲をやることもある。今作で例えると、KRS-Oneをフィーチャリングした“Let Us Begin”では

俺は自分がどこから来たのかを忘れずにフッドに戻った/地元の奴らと契約して、仕事を与え、保釈金を払った/多くの奴らが牢屋に戻るのを阻止した

とギャングの世界から若者を遠ざけるような活動について語っている。しかしこれは単なるメッセージの裏表ではないと感じる。むしろスヌープのようにギャングバンガーとして牢屋にいた経験があるからこそ、若者に響く言葉なのだろう。ギャングスタであることを誇らしげに語る彼のリリックだけを聞いていると、ギャングに憧れる若者も増えるようにも思える。しかし自分と何も共通点のない世界の人が「こういう活動は駄目だぞ!」と語ったとしても、ただの説教にしか聞こえないのだ。そうならないためにも、スヌープは現状に苦しんでいる当事者たちの目線に立ち、自分のギャングストーリーを伝えているのではないだろうか?実際にはどうかわからないが、私にはそのようにも思える。

このアルバムには他にも「ケンドリック・ラマーの声を曲のイントロに使った意味」や「Doggfather収録のビズ・マーキーのカバー、”Vapors”のリミックスバージョンを今作に収録した意図」という考察すべき観点がある。こちらに関しては10月16日発売の「Neva Left国内盤」のライナー・ノーツにて書いているので、是非チェックしてみていただきたい。

 

年と全盛期と評価

スヌープを見ていると、とあることを思い出すのだ。それはJ. Coleの「Immortal」という曲に出てくる「若き伝説として死ぬのか、長生きして満たされない人生を歩むのか」というフレーズだ。2PacやNotorious B.I.G.などはまさに「若き伝説」として亡くなった。アーティストが長生きをすると、どうしても全盛期と比べられてしまうので、過小評価されたり、本来得るべきリスペクトを見失ったりしてしまう。その事実に悩み、全盛期に引退を試みるアーティストたちが存在すのも確かである。長年の活動により徐々に過小評価されるようになったアーティストたちは、亡くなったときにやっと全盛期と同じような正当な評価に戻る。そしてやっとその時にクリティックから「彼は素晴らしい人だった」と書かれるようになるのだ。

しかしスヌープは、今後徐々に年を重ねていくアーティストたちに勇気を与えるために、その風潮をぶち破ろうとしてくれているのかもしれない。スヌープおじさんとして最大限に楽しみながら長生きをし、満たされる人生を歩み続けるのだろう。現に彼はゴスペルのアルバムを作っているらしく、まさに好きなことをひたすらやる精神性を見せてくれている。全盛期は過ぎたかもしれないが長生きをし、満たされた人生を送り、生ける伝説のまま一般世間にも露出もしまくる。それが彼の素晴らしさであり、伝説的なステータスだと思う理由だ。私にとってスヌープおじさんはそんな存在である。

10月16日発売の「Neva Left」国内盤には「さらなる考察+Snoopおじいちゃんオチ」が封入されています。

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