伝説のヒップホップデュオ「OutKast」を読み解く〜第2章Big Boi生い立ち編
ヒップホップにおけるサウス
サウスのアーティストたちがメインストリームにて大成功を収める前に、その道を作ったヒップホップデュオが「OutKast(アウトキャスト)」であろう。彼らは東と西がヒップホップ界を治めていた90年代に、アトランタ出身の初のメインストリームアーティストとして大活躍をしたのだ。
OutKastの特徴と言ったら従来のヒップホップアーティストとは違い、新しいスタイルに次々と挑戦していく「クリエイティビティ」であろう。言葉の芸術としてのヒップホップをマスターつつも、彼らは全く型にはまっておらず、他のアーティストが挑戦したら叩かれるであろうこともやってのけてしまうのだ。そんなOutKastのクリエイティビティを紐解くため、数回に渡ってOutkastについてのドキュメンタリーを解説/考察していきたい。
〜Big Boi生い立ち編〜
OutKastのうちの一人であり、さまざまな手法を試すAndre 3000とは裏腹に「サウスの偉大なラッパー」としてのペルソナを守ってきたのがBig Boiである。アンドレと隣合わせになりながらラップをし遜色ない数少ないラッパーのうちの一人あろう。彼の「サウスの偉大なラッパー」としてのペルソナはどこから来ているのかを紹介したい。
Big Boi(本名:アントワン・パットン)は1975年2月1日にジョージア州サバンナにて生まれた。後の5人兄弟の長男として生まれたが、赤子のときに父親が軍に入隊したため、両親は離婚をした。パットン家は親戚同士で貧しさを補い、手助けをし合うため同じ家に50人ほどで生活していたとBig Boiの従兄弟は語っている。
大家族で育ったことが彼の人生に与えた影響は大きかったとも語られている。皆で洋服や靴を共有していた生活であったので、当然経済的には困っていた。しかしBig Boiは昔から商才があったのだ。彼の妹はこう語る。
アントワン(Big Boi)は大人にお金や物を買ってもらうようにねだるのが嫌いな子供だった。当時から彼は家で「キャンディパーティ」を開いて自分のお小遣いを稼いでいたわ。
私たちで安いお菓子を大量に買って、近所の子供たちを招いて「お菓子食べ放題」として入場料をとっていたわ。その「キャンディパーティ」でアントワンはDJをやるようになったの。
なんと小学生の頃から彼はこのような「パーティビジネス」のスキルを身につけていたのだ。彼は真のアントレプレナーであり、自分の欲しいものを入手する方法を理解していたようだ。常に周りにたくさんの大人たちがいた環境で、彼は幼少期からさまざまなスキルを身につけていった。しまいにはジョージア州サバンナにある悪名高いフッド「フレージャーホームズ」に住んでいる叔父と頻繁につるむようになる。まだ子供ではあったが、そこから帰宅する度に大金を持って帰ってきていたことから、ドラッグを売っていたのだろうと彼の母は語っている。
学校でのBig Boi
Big Boiは学校で人気者だった。彼は人種関係なしに常にたくさんの友達と遊んでいたと言われている。さらに彼は優等生であり、先生にも気に入られるタイプであったとのこと。
中学校時代から彼はさまざまなジャンルの音楽を聞くようになる。特に彼の当時のお気に入りはKate Bush(ケイトブッシュ)だったらしい。この時期から彼はラップを始めるようになり、A Tribe Called Questなどのアーティストを聞くことによりリリックを書き始めるようになったのだ。彼の従姉妹はこう語る。
彼は常にリリックを書いていたし、どこに行ってもノートとペンを持ち歩いていた。
こう聞くとAndre 3000との共通点が見えてくる。やはりMCというクラフトをマスターするような人たちはこのようなライフスタイルになるのであろう。彼は音楽を独自で勉強するようになり、毎夏アトランタに出向き、音楽シーンを見るようになった。彼の想いはエスカレートしていき、ついにはサバンナから出ていき、アトランタに住むことを決心した。
アトランタの高校へ
彼はアトランタにいる叔母の元で生活させてほしいと母に頼み、さまざまなルールの元やっと許諾が降りた。そのうちに一つがきちんと学校にいき、成績を維持することであった。彼はアトランタイーストポイントにある「Tri Cities Highschool」に転入したのである。この高校はアートや音楽を学ぶ場で、昼休みになると生徒がカフェテリアで踊っていたり、皆がラップをしたりしている、日本の教育環境から考えるとまさに漫画のような高校であった。「生徒が何かを学んでいる限り、自由にクリエイトさせるのが方針」と高校の教員は語っている。
Big Boiは映像部の一員として、ラップのビデオを撮り、先生たちに披露するような活動をしていたのである。下記がそのときのレア動画になるので、是非見て頂きたい。高校生のBig Boiがラップしている映像からわかるように、この頃から既にラッパーとしてのペルソナができあがっているのだ。
彼はこのビデオをとても気に入っていたらしく、母親にも見せたらしい。この頃にBig Boiは「音楽が好きな少年」から「ラッパーになる決心をしたアーティスト」に成長したのである。
この高校のカフェテリアでは常にラップバトルが行われており、Big Boiは学校のトップMCの一人として君臨していた。そんな彼にはライバルがいたのだ。それがアンドレ・ベンジャミンであり、後のOutKastにて彼のパートナーとなるAndre 3000であった。
第3章:〜OutKastのデビューはまるで少年漫画編〜。見逃さないようにTwitterやFacebookをチェック!
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