クリエイティブであるが故にアーティストが陥るループと自信の低下。Andre 3000の多才さが彼にもたらした影響とは?

 

「アーティスト」であること

は想像より葛藤が多く難しいように思える。毎日楽しく葛藤せずに作品を作れている人もいれば、自分のアウトプットに納得がいかないなどの理由で葛藤する人もいる。それが「アーティスト」であるということなのかもしれない。以前はPlayatunerでは「アーティストが抱えるジレンマ」というテーマでSZAとTDEについて書いた。

SZA「アルバム完成のためにレーベルにハードディスクを奪われた」アーティストが抱えるジレンマについて考える

 

今回はそのような事例をもう一つ紹介したい。ラップを表現の手法として活動していた「アーティスト」を挙げろ、と言われたら、私のなかでOutKastのAndre 3000が思い浮かぶ。彼はヒップホップというカルチャーから飛び出し、自分のアーティスティックな部分を全面的に表現することに全身全霊をかけてきた「アーティスト」である。

OutKastのAndre 3000とYoung Thugから見る「人と違うことをする勇気」

そんな彼の「勇気」を讃えるような記事はPlayatunerにて頻繁に書いてきたが、彼はもうしばらく音楽活動をしていない。フィーチャリングだけでしか音楽の舞台に登場していない彼であるが、最近彼はその理由をメディアなどで語るようになったのだ。それらを読む限り、明らかに彼は人生の壁に当たっているのがわかる。以前彼の「年をとったらラップができない」という発言に、ファンとしての意見を書いた。

年を取ったらラップができない!?Andre 3000の発言に反論しつつ、この発言について考える。

 

こちらの記事では、彼の「ラップはボクシングのようなものだ。どんなに素晴らしい全盛期があったとしても、年をとると鈍くなってくる」という発言にファンなりの反論をした。上記の記事と内容は少し被るのだが、AndreのGQStyleのインタビューを読むと、彼のメンタリティが少し理解できるようになってきた。むしろ心配にもなるような内容だったのだが、恐らく「アーティスト/エンターテイナーとして何を目標に生きていけばいいのかわからない」という精神状態/症状になっているように見受けられた。こちらのインタビューで彼が語った内容を少し紹介したい。

 

Andre:俺の息子は大学へ進学し、両親がどちらも亡くなった。アトランタも長い間いたし、もうスタジオに行く気もないから一人でニューヨークに引っ越した。毎日座って時間を無駄にしているだけだ。どのミュージシャンも行き着く状態なのかもしれない。自分の全盛期は終わり、それを補おうと色々やってみるけど、どう頑張っても補うことができない。色々なアイディアが頭に浮かんでくるけど、すぐに忘れるんだ。

Speakerboxxx/The Love Belowの少し前から、俺は徐々に社会で生きることを恐れる症状を感じていた。その時期はカリフォルニアに引っ越し、「少し休暇が必要なんだな」ぐらいにしか思っていなかった。でも悪化していくし、友達に「弱いやつ」だと思われたくないからそのことについて話すこともできなかった。ツアーもしなくなって、凄く安心した。

あの有名なMTVアワードの「Hey Ya!」のパフォーマンスもそうだ。これは自分が恵まれた才能でもあり、呪いでもあるんだ。何も考えていなかったし緊張していたが、いざ自分の出番になったときに「ヤバイ!動かないと!」と素早く動いたら、人々はそれに好反応を示した。でも俺は自分のパフォーマンスがとてつもなく嫌いで、「もうやりたくない」と感じていた。

 

両親がなくなり、息子も進学して家を出たことにより、何をやればいいのかわからなくなったと語るAndre。「ミュージシャンが行き着く状態」として、全盛期に戻れない日々を消費しているのだ。さらに15年ほど前から自分の音楽がやりたくなくなったと語っている。自分が過去に「これはいいぞ」と思っていた音楽が好きでなくなるのは、SZAの記事でも書いた通りだ。常に自分のなかで新しい表現へと進んでいたい「アーティスト」のなかには、自分の過去のものを軽蔑する人もいる。私の周りでもこのようなミュージシャンは多く、その「クリエイティブ感覚のスピードが速い」人ほど、その速さ故に作品をリリースできなくなる。音楽をやっていない理由として、彼はこのように語った。

 

Andre:もし今死んだら、自分のプロジェクトを出していないことを後悔するだろう。The Love Below以降ずっと作ってきた、自己満足な作品たちだ。俺の自己満足な曲たちはたくさんハードディスクに入っている。下手なギター、ピアノ、サックスを演奏しているんだ。ずっと「次に楽しめることはなんだろう?興奮することはなんだろう?」って考えてきた。俺はプロデューサーとしても、ライターとしても、ラッパーとしても、特出したスキルはないし、自信がないんだ。だから努力で補ってきた。自分を前に進めるドライブは「これ新しくてかっこいい!」という感情だった。でも色々やっているうちに、その興奮がなくなったんだ。どんなに努力してもループにハマっている状態から抜け出せなかった。正直今はもう音楽をやる「人生の脈」がないんだ。世代によってリズムも音楽性も変わっていく。だからフィーチャリングの頼みを手助けするぐらいしかできない。

俺の息子は、俺が色々なことをやっているのを見て、「父さんは色んなアイディアを持っている」と思っているだろうけど、俺はどれも最後までやり遂げられなかった。だから彼が大学に進学し、家を離れたとき「あ、俺は今後なにをすればいいんだろうか」って人生に迷うようになった。

俺は人生で何かに没頭したことがない。ただ色々実現してしまった器用貧乏なんだ。The Love Belowを弾けるぐらいにしかギターが弾けなくて、Ms. Jacksonを弾けるぐらいにしかピアノが弾けない。「いずれかの楽器をちゃんとマスターする」という人生の目標を持っているけど。

 

特にAndreほど新しく、クリエイティブなことをやってきた人にとって、「興奮しない」という理由は非常に大きいだろう。しかし彼が「どの音楽手法もマスターしていない」というのは明らかな嘘である。彼は「ラップ」に関しては類稀なスキルを持っており、彼の父親もどれだけ彼がラップを練習していたかを語っている

本人はこのインタビューで「Big Boiのほうがラップが上手いし、いつもBig Boiがリーダーとして人々を引っ張ってきた。彼は学校でも非常に優秀で、若くして家庭をもっていた」と自分と比べている。Big Boiはもちろんラッパーとしてはトップレベルであるが、リリシズム/ストーリーテリングに関してはAndre以上に「ポエトリー」をマスターしたラッパーは南にはいないだろう。その自分の「素晴らしさ」を、他人と比べることにより帳消しにしてしまっているようにも感じた。これも比べることになってしまうが、逆にBig Boiは今でもコンスタントにアルバムを出している。彼は一個の前の記事で取り上げたインタビューにて、このように語っている。「もう自分がベストラッパーだと証明する時期は自分のなかで終わったよ。今は単純に音楽を楽しんで、作ることが好きなんだ」。正直Big BoiのBoomiverseは賛否両論であったが、彼は「自分が評価される」というフェーズを抜け出し、まるでスヌープおじさんのように、音楽を作っていることがわかる

しかし私はAndreがいつかふっきれて音楽の舞台に帰ってくると信じているのだ。彼は「いつか帰ってくる」という希望が強まるようなエピソードを語った。

 

Andre:35歳のとき、母親が急に「あなたが5歳のとき、私はドラッグをやっていた」と語ってきた。当時付き合っていた男性の影響でコカインとクラックをやるようになった彼女は、その男の元を去って、自分のアパートを借りたんだ。前の住人が置いていったテニス・ラケットを見て彼女は、ドラッグを止めて「テニスのレッスンを受ける」と決心したらしい。でも結局その後の2年間はドラッグをやっていたから、彼女はテニスレッスンを受けなかったんだ。

でもそんな彼女の部屋の隅には「ドラッグによって無駄にしてしまった時間」を思い出すため、ずっとテニス・ラケットが置いてあった。そして俺の部屋にも(彼女の真似をして)テニス・ラケットが置いてあるんだ。

 

彼の母親は「ドラッグで無駄にしてしまった時間」の大切さを思い出し、今後の人生を生きていく糧にするために「テニス・ラケット」をそのまま部屋に置き続けたのだ。そのラケットを見る度に「あぁ、私は時間を失ってしまった。でも前に進まないと」と感じていたのだろう。そしてAndreも亡くなった彼女に習い、ラケットを部屋に置いているのだ。今の期間が「失われた時間」なのか「充電期間」なのかはわからないが、彼がラケットを部屋に置き続けている限り、いつかまた「アーティスト」として立ち上がり、前に進むつもりなのではないか?と私は希望を持っている。今の期間はアーティストにとってツライものだと思うが、いつか彼が何かをリリースしたときに、私はそれを目の当たりにしたいと思う。

彼は現在音楽から離れて舞台やファッションについて学んだりしているらしく、そちらでも興奮することが見つけられることを願うばかりだ。

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