「この1stアルバムを作るのに◯◯年かかった」NasとJay-Zとピカソの発言から見る「クリエイティブと経験値」

 

 

「これ10分で作った」

という発言を聞いたときにどのように思うだろうか?「え?そんなに短い時間で!スピード感凄い!」と思う人もいれば「なんだよ手を抜きやがって」と思う人もいるかもしれない。しかしその10分という時間の裏にあった時間は本当に短い時間だったのだろうか?これはJay-Zが以前語った「人々はプロセスを真似ず、結果だけを真似る」という発言に深く関連してくる思考である。

Jay-Z「人々は結果だけを真似ようとする」彼の言う「結果とプロセス」について考えてみる

 

ヒップホップ界隈でこのような話題になると思い浮かぶのが、作品に時間をかける昔ながらのスタイルのアーティストたちと、近年の「短い期間で作品を出しまくるインターネット・ラッパー」の比較である。特に近年は技術の発達によって短い時間で作った曲を作ったり、Gucci ManeとZaytovenなどは1曲つくるのに10分かからないと語っている。またストリーミング・サービスの特性としても、速いペースでバンバンリリースしていくほうが売上になるのだ。近年はそのようなスタイルで活動するアーティストが多いが、1stアルバムについてはまた感覚が違ってくるのではないだろうか?恐らく1stアルバムは多くのアーティストにとってある意味一番時間がかかった作品になると思う。その事例をNasとJay-Zの例から紹介したい。

ヒップホップ業界で伝説的な1stアルバムと言ったらやはりNasの「Illmatic」であろう。むしろIllmaticほど衝撃的なデビューアルバムはなかなかないと言える。そんな彼の1stアルバムであるが、彼はSongfactsにてこのように語っている。

 

Nas:こういうこと何回か聞いたことあると思うけど、最初のアルバムはそれまでの人生をずっとかけているんだ。俺は9歳の頃からリリックを書き続けている。もしアルバムを「制作」しはじめたって意味だったら16歳からかな。18歳で契約して、アルバムを完成させたのが20のときだ。

 

1stアルバムを作るのに人生をずっとかけたと語った。もし9歳のときに自分の人生を「書くこと」に捧げていなければ、そもそも16歳に「Illmatic」を書き始めるスキルも得ていない。そのような意味では今までの人生経験の全てをぶつけた作品であったとも言える。同じようなことを語ったのがJay-Zである。以前紹介したが、彼は「Reasonable Doubtをつくるのに、どのぐらいの年月をかけたか?」という質問に「今までの人生全てをかけた」と語っている。それは「この人生をそのまま歩んでいないと作れない作品だ」という意味で、「自分が培った経験をした「自分」にしか作れない作品だ」という意志が伝わってくる。そしてその経験をしたからこそ、そのノウハウを活かして、次は短い時間でつくることができるようになるのだ。これはデザイナーやイラストレーターにも共通することでもある。実際に「制作」していた期間はそこまで長くないかもしれないが、その短い期間で制作できるようになるために何年もかけているのだ。

これはピカソ・プリンシパルと呼ばれているエピソードにも深く関係してくるだろう。とある女性がピカソに「何かを描いてくれ」と頼み、ピカソは5分でスケッチを描いた。そのスケッチにたいしてピカソは100万円ほどを請求したが、その女性は「5分で描いたスケッチに100万円はさすがに高いのでは?」と訪ねたのだ。そこでピカソは「このスケッチは5分で描いたかもだけど、これ描けるようになるために30年間の練習と経験を詰んだんだ」と答えたらしい。実際にこの話が真実がどうかはわからないし、私はピカソについて詳しくないので判断できないのだが、これはクリエイターが生きていく上で非常に重要なメンタリティになってくる。自分の作品の経済的な価値を決める意味でも、世に出る最初の作品が自分のキャリアにとってどのような作品になるかを理解する意味でも、念頭においておくとためになるかもしれない。

 

人生以上の期間

先程はデビューアルバムを作るのに「人生の全ての期間」をかけたという事例を紹介したが、実際に音楽を作っている限りは、「人生以上の期間」がかかっていることを認識する必要があると個人的には感じる。音楽に限ったことではないが、クリエイティブの世界は多くのことが「サイクル」になっている。NasはIllmaticについて、このようなことも語っている。

 

Nas:俺はIllmaticにて、100年間積み重なってきた、そしてさらにまた100年間積み重なってきた「英語」という言語について新しい価値を与えているようだった。一人ひとりが「言語」や「描写の方法」という歴史に貢献し、それが次の世代に受け渡される。

 

彼は今まで積み重なってきたイングリッシュ・リテラチャーの歴史のなかに自分を「当事者」と置き、そのなかでどのように自分がその分野に新しく貢献できるか?ということを考えていたのだ。以前「Nasがハーバード大学でリリックの解説をする」という記事を描いたが、彼のリリックが「文学」だとすると、彼の作品は、彼の人生だけではなく「ポエトリー」の歴史の積み重ねの上にあるものなのだろう。自分がとある文化のなかにて制作をしている場合、自分がインスパイアされ、経験として積み重ねた「知識」という単位で考えると作品をつくるのに「人生以上の期間」がかかったとも言える。

現代はネット上で多くの情報が見つかり、根気さえあればいくらでも上達できる時代になってきていると感じる。しかし自分が一瞬で理解したものは、多くの先人たちの人生の上に成り立っている知識だということを考えると、それが「短い期間」でできたものではないことがわかる。多くの人が一生かけて理解したことの恩恵があり、自分が一瞬で理解できていることも多い。そしてそれは自分の人生においても同じだ。自分が「一瞬で作った」と思っているものは、長年の経験が積み重なったからこそ「一瞬」できたのか?それか本当にただ「一瞬」で作ったものなのか?近年のアーティストたちが「10分で作った」と言った言葉を真に受けて、自分のクラフトに10分しかかけないアップカマーと、「10分で作れるようになるために何百時間を費やす」というアップカマーだと、「ロンジェヴィティ」という意味で差が出てくるのかもしれない。

これは以前「ライブのクオリティとカムアップの手順」という旨を書いた記事でも書いたのだが、一昔前と今ではカムアップの方法も変わってきている。以前は作品が「世に出る」というのは、第一ステップではなかったが、今では作品を出すことが最初のステップととして、一番ハードルが低いものとなっている。そういう意味でも、その「10分で作れるようになる長年の経験」を培う機会が減っているのかもしれない。

Nasがハーバード大学の教授に「It Ain’t Hard to Tell」のリリックの一部を解説する。解説されたリリックを紹介

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