波紋を呼んでいるスヌープ・ドッグのMVについてCommonが擁護。表現とアートについて考える。

 

表現の自由

とは一体何を意味するのだろうか?「アート」としての表現は完全に自由という人もいれば、あまりにも過激すぎる表現は「アウト」とする人もいる。例えばFlying Lotusの映画は「あまりにもグロすぎる」という意見があったり、YGの「FDT」を禁止する団体もいる(実際には禁止されていなかったらしいが)。

そのなかで現在波紋を呼んでいるMVがスヌープ・ドッグのBADBADNOTGOOD – Lavender Remixだ。様々な意見が飛び交っているこちらのMVに対して「表現の自由」を訴えているのがラッパーのCommon(コモン)だ。

 

Common:ヒップ・ホップというのは常に「表現の自由」がメインテーマだったし、それが最も偉大な力のうちの一つだ。「声をあげてきた」ヒップホップは常に人々の心を代弁してきた。

パブリック・エネミーの時代を思い出してみて、そのままケンドリック・ラマーまで早送りしてみよう。ヒップ・ホップ・アーティストは、感じていることを声を上げて表現してきているんだ。

 

実際のスヌープの写真を見て苦笑いしつつも、「表現の自由」と「声をあげること」について語ったコモン。この2つの要素がヒップホップ/音楽にはとても重要であることは誰もが納得できるであろう。「Funkと社会」という記事でも書いたように、このような音楽は「音楽による魂の叫び」なのである。しかし「声を挙げる」ことと、それを実際にアウトプットとしてどのように表現するかは別問題でもあると感じる。

例えばスヌープ・ドッグが「銃で撃つ」というシンプルかつ暴力的な表現ではなく、「何故自分がトランプとこの社会にうんざりしているのか」という理由を論理的に表現していれば、世間の反応はまた全く別のものになったであろう(そのような表現は全くスヌープ・ドッグらしくはないが)。PlayatunerではこのMVについて考察をしたが、世間には最後まで丁寧に説明をしないと「ただの暴力的な表現」として評価をされてしまう可能性は高いのだ。もちろんそのような評価を望んでいるのかも知れないが、そんな論理的に伝わらない、突発的で曖昧/不完全な表現だからこそ「アート」というものは美しいのかもしれない。

波紋を呼んだSnoop Doggがトランプを撃つMVの意図を徹底的に考察してみた

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