2Pacが亡くなったとき、あなたは何をしていましたか?

1996年9月13日

この日にヒップホップ史上最も影響があったと言っても過言ではない人材の2Pacが亡くなった。彼は9月7日にラスベガスのフラミンゴ通りにて4発撃たれ、その6日後にネバダの病院で息を引き取った。彼が亡くなるまでの経緯に関してはこちらの「西海岸と東海岸の関係②」にて書いたので、是非チェックして欲しい。

ヒップホップ界の歴史が変わってしまうようなビッグニュースであったわけであるが、彼の周りやアーティストは2Pacが銃撃していた当時何をしていたのだろうか?それを簡単にまとめた動画があるので紹介をしたい。

 

スヌープ・ドッグ

“俺はウォーレンGの家のリビングにいたよ。一緒にゲームをやっていて、電話がたくさんかかってくるから、ニュースを見たら2Pacが撃たれたって報道されていた。俺はネバダの病院に彼に会いに行ったんだ。病室で意識不明になっている2Pacの手を握りながら、祈りを捧げた。

Snoop Doggと2Pacの最期の関係については以前こちらの記事で詳しく書いたが、スヌープと2Pacは仲違いをしたまま別れてしまったのである。そのような過去もあり、スヌープはとても悲しそうである。

 

Jada Pinkett Smith

“2Pacの母Afeniに電話して、今から飛行機に乗って向かうべきか聞いた。そしたらAfeniは「2Pacなら大丈夫だから来れる時にきなさい」って言われたのを覚えている。2Pacは前にも撃たれた経験はあるし、彼なら絶対復活すると信じていた。私の母が、私とウィル(スミス)が泊まっていたホテルにきたとき、彼女の顔を見た瞬間に2Pacが他界したことを悟ったわ。

ウィル・スミスの妻であり、2Pacの高校の同級生としても知られているジェイダ・ピンケット=スミス。彼女は高校時代に2Pacと純愛をしていたという噂もあり、かなりショックであったと伺える。2Pacの母Afeniは忙しいジェイダを気遣って「大丈夫」と伝えたのだろう。

 

エミネム

“俺はレストランで調理の仕事をしていた。スポーツバーだったから大きいテレビがあったんだけど、そこで2Pacが亡くなったというニュースをやっていたんだ。混乱しながら見ていたよ。一緒に働いていた同僚たちは事の重大さをわかっていなくて、「こいつなんでこんな悲しんでるんだ?」みたいな感じだったよ。ヒップホップや音楽に関係ある人にとっては最悪の日だった。

1996年といえばエミネムはまだDr. Dreとフックアップしておらず、スポーツバーにてアルバイトをしていたらしい。2Pacが亡くなった2ヶ月後に自主制作の1stアルバム「Infinite」をリリースすることになるのだが、これからのし上がっていく彼にとって2Pacの死は大きかっただろう。現在エミネムは2Pacの死後リリースされたトラックたちの権利を所有している。

 

Marlon Wayans

“俺は2Pacが撃たれる20分前に彼と一緒にいたんだ。ホテルから出て、俺らは違う場所でパーティーしていたら、2Pacが撃たれたという知らせが入ってきた。最初の印象は「また撃たれたのか…5発撃たれて復活したばかりなのに」というものだった。そして6日後に彼が亡くなったと知って、号泣したのを覚えている。俺の母がマーヴィン・ゲイの他界を知ったとき以上に泣いた。

俳優でもあり、コメディアンでもあるマーロン・ウェイアンズ。彼は2Pacが撃たれる直前まで2Pacと一緒にいたらしい。マーロンたちはタクシーで別のパーティーに向い、2Pac御一行は高級車に乗りフラミンゴ通りにて銃撃された。

 

あなたは2Pacが亡くなったと報道があったとき、何をしていましたか?