TDEの社長Punchから学ぶ「アーティストと一緒に成長するリスクと愛」の重要性。ケンドリック、Ab-Soul、ScHool Boy Q、Jay Rockとの出会い

 

現代のヒップホップで

最も偉大な「インディペンデント」レーベルと言ったらどこを思い浮かべるだろうか?Tech N9neのStrange Musicは個人的には現代のインディペンデント・レーベルとしてのブループリントを作ったと感じているが、そのフォーミュラを学び一段とレベルアップさせたレーベルがTOP DAWG ENTERTAINMENTこと「TDE」であろう。

TDEの代表TOP DAWGとケンドリック・ラマーが語る。レーベルの姿勢やアーティストとの関係性について。

TDEに関してはPlayatunerにて数回取り上げており、そのレーベルとしてのフィロソフィーから学べることは多い。ビルボードによるとヒップホップ/R&B全体の5%のマーケットシェアを持っているほどのレーベルに成長しており、ヒップホップが非常に競争が激しいマーケットと考えると信じられないほどの快挙である。

そんな彼らTDEについては創業者であり、代表取締役であるTOP DAWGについて今までは取り上げてきた。しかし彼らの組織において社長として大きな役割を担ってきたのはテレンス・ヘンダーソン通称「Punch」である。

スタート

80年代にLAのワッツにて父親の影響でヒップホップを聞いて育ったPunch。彼は自分がプロのミュージシャンになることは意識していなかったが、小さい頃から常にやっていることがあった。それはヒップホップのビジネスを勉強していたのだ。彼はヒップホップマガジンTHE SOURCEなど、ヒップホップのパブリケーションに掲載されているインタビューや記事を念入りに読み、いつもヒップホップゲームについて研究していたと語る。

 

Punch:18歳の頃はまだ音楽をキャリアにするとは思っていなかった。当時はリリックを書くことに熱中していて、自分が書いたものを友達に見せたりしていた。そこで友達と電話しているときに「レーベルをやってみようぜ」ってなったんだ。

俺は当時IKEAで働いてて、お客さんがいないときにはリリックを書いていた。んでその友達も同じIKEAの3階で働いてたから客がいないときは内線でレーベルの戦略とか語っていたんだ。緊急性がないって言われてクビになったけどね(笑)

TOP DAWGは俺が自分のレーベルをはじめようとしたときから、アドバイスをくれていた。わからないことがあったら、彼に相談したりしていたんだ。そこで徐々に彼との会話が進んで、彼と一緒に活動したいと思うようになった。あと俺は自分の限界を感じていたんだ。仕事もしていたし、自分がやるべきことができていなかった。

 

元々はTDEではないレーベルを友達と立ち上げようとし、IKEAでの仕事中に戦略を練っていたと言う。彼も恐らくファレル・ウィリアムズのように「音楽をやっていないと生きていけない」タイプの人なのかもしれない。この「とりあえずどんな状況でも音楽をやる」というコミットメントが成功への第一歩なのだろう。そしてTOP DAWGの今までのストリートでの功績を使い、TDEとしてスタジオを作ったのだ。

 

最初の4人

TDEと言うと、Jay Rock、ケンドリック・ラマー、Ab-Soul、ScHoolboy Qというフラッグシップアーティストたちが「四天王」的な立場にいるが、彼らとの出会いについてこのように語る。

 

Punch:最初に契約したのがJay Rockだ。元々はネイバーフッドにいた他の奴の呼んでレコーディングする予定だったんだけど、その彼が連れてきたのがJay Rockだったんだ。その時はTOP DAWGが「皆を迎えにいくから、このストリートで待っててくれ」って感じで待たせていたんだけど、TOPが「待っててくれ」と言ったらそれは本当に長い時間になるんだ。まるでケーブルテレビの工事のように、どの時間帯にくるかわからない。その間に、元々レコーディングするはずの奴がしびれを切らして帰ってしまったんだ。Jay Rockはその場に残った。その後合流し、彼の声を聞いた瞬間に契約をしようと決めた。彼の体からは予想もできない声を持っていたんだ。

ケンドリックに関してはスタジオにミックステープが置いてあったんだ。それを聞いて、Lil WayneやJay-Zの影響が聞こえると感じていた。そしてスタジオで実際にケンドリックがサビの部分を重ねている様子を見て、「彼は選ばれし者になる」って確信を得た。

Ab-Soulに関しては、TDEを結成する以前にプロデューサーのSounwaveが連れてきたラッパーだった。TDEを結成してケンドリックを仲間に入れた一年後ぐらいに、TDEのスタジオに来てもらったんだ。その晩にケンドリックとJay RockとAb-Soulの3人の楽曲ができた。

ScHoolboy QはエンジニアのAliから紹介だ。AliとQは学校のフットボールのチームメンバーだったんだ。最初は彼がラップしているのも知らなくて、クールで良い奴だと思っていた。でもある日彼は超ワックなビートの上でラップしたヴァースを持ってきたんだ。ビートはワックだったけど、スピットをしていた。だから「ラッパーとしての道を歩みたいなら、このスタジオに通って練習すれば?」と提案した。そしてメンバーになったんだ。

 

最初の4人となるラッパーたちがどのようにしてTDEのメンバーになったかを説明した。それぞれが興味深いエピソードであるが、一番興味深いのが「若く、まだアーティストとして未熟なときから仲間に入れていた」ということであろう。実際には「仲間に入れる」を通り越し、彼らに「居場所」を提供し、夢中になれることを追いかけることができる環境を与えたのだ。これは単純に「アーティストと契約する」ということより大きいことであり、アーティストの人生を抱える覚悟とリスクを負ったということでもある。まだ10代中盤の子供たちを受け入れ、その子供たちが「アーティスト」に成長していけるように、長期的に「投資」をしたのだ。このロングスパンで育て、音楽に集中できる環境を作ったことがTDEの最大の成功要因であるように思える。既に「エスタブリッシュ」されているアーティストを見つけて契約しようとするレーベルが多いなか、彼らには「0から一緒に作っていく」リスクを負う覚悟と「愛」があった。

そしてTDEのメンバーが作る音楽が、メインストリームや一般受けを狙ったものではないが、一般的にも売れていることについてこのように語った。

 

Punch:彼らを「ブレイク」させようとは思っていなかった。俺らには業界の経験とかなかったし、音楽業界が持つアーティストを「ブレイク」させるノウハウも持っていなかった。俺らは単に自分たちが一番良いと思った音楽を作ろうとしただけだ。ビジネスとして成長しはじめて、そういうラジオヒットや「売れる」ような音楽を作ろうとしたこともあったけど、酷い出来栄えだった。

自分がそうやって何かに認められるために超頑張ってるのに、上手くいかないってのは気持ちの良いフィーリングではない。だから「じゃあいいよ。自分達が作りたいもの作ろうぜ」って感じだった。

 

逆に業界での経験がなかったからこそ、時代を変えるアーティストたちを輩出できたのだろうと感じる。今までのセオリーに囚われずに活動できたのも非常に大きい。実際に何かに寄せたり、世間に認められるために作品を作るというのは、狙い取り上手くいけば気持ちがいいかも知れないが、それで上手く行かなければ最悪の気分になるだろう。結果的には自分の感覚を妥協しただけになってしまう場合もある。

これは以前書いた「Wiz Khalifaを発掘したID Labs」の記事にも共通してくるが、TDEのようなレーベルの最大の強さは、アーティストにたいする「真摯さ」と、惚れ込んだアーティストと同じ目線でリスクを取ってロングスパンで投資ができる「無償の愛」があることであろう。TDEの成功を見ていると、時代とともにレーベルや「ヒットレコード」のあり方も変わってきていることがよくわかる。

ケンドリック・ラマーがTDEのメンバーとの関係について語る。一緒にのし上がった「ファミリー」

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