50 Centがデビュー前に作った最強の「盛り上がり」から学べること。DJ Whoo Kidが語るミックステープの強みと役割

 

 

アルバムとアルバム

の間の期間が長く空くアーティストもいれば、非常に速いペースでリリースする人もいる。以前NasとJay-Zとピカソの例をとって「作品を作るのにかかった時間」というテーマで記事を書いたが、以前は現代よりも「制作」にあてる時間が長かった傾向にあるだろう。そのため、理想のアルバムが完成せずに長年アルバムをリリースすることができないアーティストなどもいた。

「この1stアルバムを作るのに◯◯年かかった」NasとJay-Zとピカソの発言から見る「クリエイティブと経験値」

 

昔であれば、情報やコンテンツが消費される速度がそこまで速くなかったため、「大御所」になる前に数年間表舞台から消えてもファンたちは期待をし続けていたが、現代ではどうだろうか?コンテンツが流れてくる速度が速すぎて、同じコンテンツを楽しむ寿命が短くなっているとも言われている。そのため、表舞台から消えないように、コンスタントに作品をこまめにリリースすることが必要ともされている。インターネットと技術の発達により今までにないスピードで作品をリリースすることが可能になった現代でああるが、それがカムアップするラッパーの「グラインド」となっており、多くのラッパーたちが頻繁に自分のラップを世に出している。

しかし中には「一つのアルバムという大作を大切にしたい」という方もいるだろう。そんな方のために紹介したいのが、デビュー直前の50 Centの事例である。比較的に素早く作れる「ミックステープ」の手法をアルバムのために有効活用するラッパーは多く存在しているが、彼がデビューアルバム「Get Rich or Die Tryin’」をリリースする直前に作ったハイプからは学べることがある。DJ Whoo KidがMass Appealにて語ったことを元に、50 Centの事例を紹介したい。

50 CentはエミネムとDr. Dreと契約し、2003年の2月6日にリリースされたデビューアルバム「Get Rich or Die Tryin’」で世界で1400万枚以上の売上を見せている。彼が最初にラップ業界で話題となったのは「How To Rob」という「多くの有名ラッパーを強盗することを妄想した曲」を1999年にリリースしたときのことであった。この内容に怒るラッパーもいたが、Nasはそのクリエイティブさとリリシズムを気に入り、50 Centをツアーの同行させた。1999年は50 Centにとって、「ここから一気に駆け上がるぞ!」という年であった。

しかし彼は2000年に9回撃たれ、その後にコロンビア・レコードとの契約を打ち切られたのだ。9発撃たれたら例え生き延びたとしても、「もう外に出たくない…」という精神になってしまう人が大半だと思うが、50 Centは銃撃から1年以内に復活した。復活したどころかレーベルとの契約も打ち切られた状態で、彼はなんと300公演もブッキングしたのだ。しかもそれは「全てのフッドにあるクラブ」でやるというツアーであり、何度もツアー中にクラブで銃撃が起きたと語られている。

そのツアーから50 Centのキャリアにおいて重要な役割を担ったのがDJ Whoo Kidである。いきなり50 CentとSha Moneyに「お前がDJをやれ」と言われた彼であるが、元々はHot 97で働いていたDJであった。彼はラッパーたちから盗まれた/リークされたヴァースなどを秘密裏に入手してはミックステープに入れて、後を追われるような人物であった。彼は「ツアーに同行しようと思ったのは、そもそも俺はDiddyから逃げて隠れる必要があったからだ」と語っている。50 Centの名1stアルバムを大成功へと導いた要因の一つは、2002年に立て続けにリリースしたミックステープたちであろう。

 

ミックステープで下地をつくる

50 Centはエミネムが弁護士経由で聞いて惚れたコンピアルバム「Guess Who’s Back」を2002年の4月にリリースし、エミネムと仕事をしはじめた後に、DJ Whoo Kidがホストした「50 Cent is the Future」「No Mercy, No Fear」「God’s Plan」という3つのミックステープを二ヶ月おきにリリースしている。こちらのミックステープは既に存在している楽曲のビートをジャックし、寄せ集めたものであった。

2002年6月にリリースされた「50 Cent is the Future」ではMobb Deep、Raphael Saadiq、Jay-Z、Wu-Tang Clan、Geto Boysなどのビートが使用されている。これらのミックステープでは、ヴァースだけではなくキャッチーな「50 Cent節」のサビが新たに挿入されることもあった。

デビューアルバムをリリースするための下地となる「ハイプ」を徐々につくり、ヒップホップ業界の目を自分に向けるために3つのミックステープを次々にリリースしたことが、「宣伝」だけではなくブランディングとして、多くの耳を獲得したのだ。「宣伝」は「認知度」を上げるために打たれる場合が多いが、実際に「作品」を頻繁に出していくタイプの宣伝だと、「宣伝」っぽくはならずに、直接リスナーの耳に届けることができる。アルバムだと0から作り上げるのに時間がかかるなか、「アルバム」という手の込んだ形ではなく、ビートジャックをした「ミックステープ」という形でやるのは非常に「理にかなっている」手法である。(権利的な問題はあるかもだが)

「Get Rich or Die Tryin’」を制作しつつも、立て続けにミックステープをリリースし、その盛り上がりが大きくなったところで、2002年の11月に8mileが公開された。サウンドトラックに「Wanksta」が収録されていたことによってそのハイプはさらに大きくなったのだ。そして2003年の1月に「In Da Club」がリリースされた頃には、彼以上にホットなラッパーはいない状態となっていた。

 

宣伝と継続

最後に「ミックステープを無料で公開する」ということにたいして否定的であったスヌープ・ドッグにたいして、DJ Whoo KidがMass Appealにて言ったことを紹介したい。

 

Whoo Kid:俺は50 Centがデビューする前からスヌープに「ミックステープを作ろうぜ」って言っていたんだ。最初スヌープはミックステープを理解していなかった。彼は「は?そんな無料で配布するなんてFuckだ」と言っていた。彼はそもそもDr. Dreから来ている人だったから、めちゃくちゃCDを売ることに慣れている人だったんだ。

だから俺は彼に「スヌープがアルバムを作るために8ヶ月ぐらいスタジオであーでもないこーでもないとか言ってる間に、フリースタイルでもなんでもいいからファンに小出ししていくんだ。そしたらファンたちはエンジョイできるし、アルバムをリリースするまでファンの意識を自分の近場にキープすることができる」と伝えたんだ。

これは50 Centの持っていたフォーミュラだ。彼はJay-ZやNasのようにアルバム制作のために表舞台から数ヶ月消えるということをしたくなかった。当時はインターネットが盛んじゃなかったから、彼は常に「ハイプ/盛り上がり」を作っておきたかったんだ。

 

結果的にスヌープ・ドッグはミックステープにおけるファンの反応の速さにハマり、次々にミックステープをリリースすることになるが、この記事は上記のDJ Whoo Kidの発言によってまとめられるだろう。50 Centの「Get Rich or Die Tryin’」の成功はもちろんShady/Aftermathの後押しがあったからではあるが、デビュー前の50 Centが徐々に注目を集めていく「ハイプ」から学べることがある。それは大作となるアルバムをリリースする前に徐々にコンテンツを小出しにしていくことにより、「盛り上がり」を作ることができるということだ。この手法を取り入れているラッパーは非常に多く、Lil Wayneなどはむしろミックステープを期待している人のほうが多いのではないか?と思ってしまうほどだ。

「アルバム出してみたけど、特に売れもしないし話題にもならない…」と悩んでいる方は、「継続を制するものはインターネット時代を制する」ということを念頭に置いておくのがいいかもしれない。もちろん多くのアーティストはエミネム/Dreレベルの後押しを受けることはできないので、いかにその「熱」をコツコツ作り、話題を作るかが重要なのだろう。

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