西海岸/東海岸ビーフシリーズ① ビーフ以前の東と西の関係性

Writer: 渡邉航光(Kaz Skellington)


2pac-biggie

 

海岸同士の抗争とも言える90年代最大のビーフ


ヒップホップの歴史において西海岸と東海岸のビーフはあまりにも有名であろう。ビーフとはいわゆるアーティスト同士の争いや、ディスり合いである。90年代に数年に渡って泥沼化していったビーフは、当時のツートップだったカリフォルニアの2PacとニューヨークのNotorious B.I.G.の命を奪うまでに至った(直接的な死因はビーフではなかったかもしれないが)。そもそも何故ここまで激化したのか、と疑問に思う方も多いだろう。一般的に西と東のビーフと言うと、1995年のデス・ロウ・レコードとバッドボーイレコードの関係性が思い浮かぶなか、それ以前の両海岸に溜まった鬱憤と経緯を今回は書いてみようと思う。

 

ビーフ以前の東と西の関係性


ヒップホップがニューヨークで生まれたことは説明するまでもないであろう。70年代にグランドマスター・フラッシュ、DJクール・ハーク、アフリカ・バンバータなどのレジェンドたちによって、サウスブロンクスにて形成されたのである。そこから80年代に入り、Run DMCビースティ・ボーイズエリックB & ラキムLLクールJなどのニューヨーク出身のアーティストがスターとなり、一般的にもヒップホップというジャンルが知られるようになる。

そこまでは完全にニューヨークの音楽であったが、1986年に西海岸にて一人の男が出てくる。

それはカリフォルニア州クレンショー出身のIce-T(アイスT)である。Ice-Tは史上初のギャングスターラッパーと言われており、西海岸にてヒップホップ文化が育つ地盤を作った人と言っても過言ではない。内容もLAのギャング「Crip(クリップ)」や「Bloods(ブラッズ)」を題材したにものが多い。その後みなさんもご存知N.W.A.がアメリカを震撼させ、カリフォルニアロスアンゼルスは完全にギャングスタラップのメッカとなる。

 

 

海岸同士の初のディストラック


N.W.A.のストレイト・アウタ・コンプトンが大ヒットし、Ice Cubeのソロも爆発的に売れたにも関わらず東海岸では渋い顔をする人が多かった。自分たちが生み出したヒップホップというものが、国の反対側で本来とは違う過激な内容になって売れているのが、一般層にマイナスなイメージを与えるという懸念点があったのであろう。そのため西のヒップホップは一切オンエアしないという東のラジオ局も多数存在してたとのこと。西海岸ヒップホップに火がつくにつれ、レコード会社が東のラッパーと契約しなくなる現象もあり、東海岸のアーティストは焦っていたのである。今まで微妙な距離感を保っていた海岸同士の状態を破ったラッパーがTim Dog(ティム・ドッグ)だ。彼はこの状況に怒り、”Fuck Compton“という曲を1991年にリリースし、東と西のビーフを明確にさせた。この曲ではIce Cube以外のN.W.Aのメンバーなどがターゲットとなり、西と東ビーフ史上初のディストラックと言われている。

1992年にはドクタードレーが新レーベル「Death Row Records(デス・ロウ・レコード)」から1stソロアルバム「The Chronic」をリリースし、Tim Dogに反撃した。この作品が記録的な大ヒットになったため、彼のスタイルに影響されたアーティストが全国的に出てきたので、状況が少しは改善されたかと思われた。

しかしこのデス・ロウ・レコードが、火に油を注ぐのであった。

 

ヒップホップ文化「ビーフ」と音楽業界


ここまではヒップホップの文化の一部とも言える「ビーフ」の枠にとどまっているので、業界的にも危機感があるわけではなかったのだろう。むしろレコード会社からするとこのような注目度の高いネタはもってこいの話題だ。実際にビーフは売上アップに貢献すると歴史が証明している。そのため歴史の浅いヒップホップ業界も、新しいジャンルをダシにしてお金を稼ぎたい音楽業界もどこまで突き進んで良いのかわからない状況であったに違いない。しかしそのような気持ちが絶望と泥沼化をもたらすのであった…

絶望と泥沼化は続きPT. 2にて!(更新されたらこちらにリンクを貼ります。)

ライター紹介:渡邉航光(Kaz Skellington)カリフォルニア州OC育ちのラッパーでありPlayatunerの代表。フジロック2015に出演したumber session tribeのMCとしても活動をしている。