巨大なファンベースを築き、突如として解散したインディーズレーベルの栄枯盛衰から学ぶ。自主レーベルと組織とコミュニケーション

 

 

インディペンデント

に活動しているアーティストから学べること、というテーマはPlayatunerで頻繁に登場するテーマである。メインストリームでの「ヒップホップ文化」が確立していない状態で、独自に事例を作ろうと毎日「グラインド」しているアーティストを応援するという意図もあるが、同時にインディペンデント・アーティストの活動を紹介することによって、彼らの知名度に貢献したいという気持ちもある。特に日本で露出する予算とリソースがあり、メディアに頻繁に登場するメジャー・アーティストと違い、独自で活動しているアーティストはそのリソースがないため、米国と日本での知名度の差が大きかったりする。そんな想いで、Tech N9neのような「インディペンデントの王者」から、現在カムアップ中のラッパーたちまで、彼らの「活動」にフォーカスして取り上げている。

今回は下記の記事と少し内容は被るが、とあるインディペンデント・レーベルのドキュメンタリーから見る「栄枯盛衰」の事例を紹介し、何故ここまで成功したレーベルが解散に至ったのか?という疑問を掘り下げたい。

インディペンデントに活動する心意気とは?巨大なファンベースを築いたHopsinから学ぶ「段階を踏む」ことの重要性

 

そんなインディペンデント・アーティストたちであるが、特に私が頻繁に取り上げ、「活動」として気になっているのが上記記事でも紹介しているLA出身のラッパーHopsinだ。彼に関しては彼がまだ爆発的にファンベースが増える前からフォローしていたのもあり、リアルタイムでファンベースが増えていく姿を見るのが非常に楽しみなラッパーであった。彼の楽曲の内容は非常にパーソナルであり、エゴイスティックでもあるので好みは分かれると思うが、巨大でロイヤルなファンベースを独自に獲得した彼の「活動」は参考になるだろう。インディペンデントに活動しながらも自分へのご褒美にランボルギーニを買えるような存在になったが、そんな彼にも「スタート」というものがあったのだ。

Ruthless Recordsと契約したが、特にプロモーションもしてもらえるわけではなく、単に契約してアルバムを出しただけで何もしていない状態で困っていた彼は、2009年にマネージャーとなるDame RitterとレーベルFunk Volumeを立ち上げた。

上記の初期のMVを見て頂ければ伝わると思うが、「レーベルを立ち上げた」と言うと凄く響きは良いが、実際には単に「全てDIY」という意味だと思ったほうがいいだろう。恐らく読者のなかにもこのような「自主レーベルを立ち上げる」という経験を持った方も多いのではないだろうか?個人的にインディペンデントアーティストを探すのが好きな理由としては、そのような「DIY」のレベルアップを見ているとワクワクするから、という部分も大きい。そんなDIYレーベルであったFunk Volumeの軌跡を見ることにより、自主レーベルの「ワクワク→人気のピーク→解散」の流れを見ることができるので、紹介をしたい。

 

インディペンデント・リビング

この今は無きレーベルFunk Volumeのドキュメンタリー「Independent Living」は基本的にアーティストであれば映像的にもモチベーションになると思うので、見るのをオススメするが、映像の冒頭ではこのように語られる。「俺らが出てきたときはMyspaceで活動する必要があった、当時は1000万人ぐらいMyspaceにラッパーがいるんじゃないかってぐらいいて、誰もがラッパーとして成功しようと活動していた。でもその成功を見ることができるのは非常に少ない数%だ

当時彼らがスタートしたときは、業界への繋がりもなく、外部から投資してくれる人や手伝ってくれる人もいなかったと語る。そう、その「外部の投資家がいなかった」という部分が肝になってくる。Tech N9neやJay-Zも含め、ヒップホップ・レーベルが最初に立ち上がったときは何かしらの「ファンディング」が入っている場合も多い。しかし彼らは「音楽以外何もない」状況で0から活動をしていったのである。所属していたアーティストDizzy Wrightは「俺はグッズが置いてある部屋のソファで寝てたよ。まるでFunk Volumeのトラップハウスだった」と語っている。ドキュメンタリーの冒頭は各所属メンバーの紹介、そして既にファンベースをある程度確立してからのツアー映像が立て続けに流れる。しかし活動を始めた当初からこのような状態であったわけではない。

 

カムアップから成功へ

ハロウィンライブに7人:ファンとのコミュニケーション

そんな彼らが初期に意識したことは「一人ひとりファンを獲得する」ということであった。インターネットの時代となると、いきなり多くの人に露出して大量のファンを獲得できるイメージがあるが、彼らの場合はそうではなかった。

Hopsinはラップを始めた当初はお金を払ってライブに短いライブに出演しており、要するに「ノルマ制度」のライブに出演していたのだ。(ちなみに彼はその行動を「とても愚かだった」と語っている)さらにはインタースコープ・レコードのビルの警備員に「ジミー・アイオヴィンに渡してほしい」と言ってデモテープを渡していたとも語る。(これに関しても愚かだったと語っている)

ドキュメンタリーの冒頭に流れるツアー映像ではたくさんのファンが集まっているが、この2年前には彼らのファンベースは0に等しかった。その一例として紹介されているのが、彼らが駆け出しのときに企画したハロウィンライブである。このライブ、いざ当日になってみると7人しか客がいなかったらしい。

上記がドキュメンタリーの40分20秒に紹介されているライブ映像のスクリーンショットなのだが、たしかに4人ほどしか客がいない。Hopsinはその状況を「めっちゃ大きいライブやります!みたいに告知してたのに全く人がいなくて恥ずかしかった」と語っている。さらにレーベルのビジネスサイドを担っていたDameは

初期のHopsinとSwiZzzの活動にはリスペクトしないといけない。あのような恥ずかしい状況で自分たちを信じてずっとライブをしてきた彼らは賞賛に値する

と語っている。実際にこの状況を恥ずかしいと感じるか「当たり前」と感じるかは人ぞれぞれであると思うが、「DIY」に続き、このような「全く客がいないライブハウスでライブをする」という経験も共感できるアーティストは多いのではないだろうか?多くの人に「お前らは時間を無駄にしている」と言われたが、彼らそのなかでもちゃんと考えて前に進んでさえいればいつか注目されると信じ続けたのだ。彼らはライブをやる度にファンと交流したり、CDを買ってくれたファンとチャットするなど方法を実行し続け、地道に一人ひとりファンを増やしていった。Tech N9neしかり、誰もが最初は「ライブに全く人がいない」という状況から始まるのだ

 

動画のシリーズ化

以前も「継続を制するものはインターネットを制する」という旨の記事を書いたが、インターネット時代において「シリーズ物」は非常に強い。情報やコンテンツが非常に早く消費される時代にて、「次も気になる」というものは音楽活動の「グロースハック/マーケティング」における「リテンション」という概念においても非常に重要だ。Hopsinの場合は「Ill Mind of Hopsin」というシリーズを出しており、最初のほうは単純にラップしている動画であったが、徐々に曲として進化していった。「Ill Mind of Hopsin 4」でTyler, the Creatorをディスして話題になり、5では流行りのラップから悪影響を受けてしまった大学生/女性/Thugたちの問題を指摘する楽曲で、1日で100万再生を達成した。コンテンツは発見されるのが一番難しいが、その次に難しい「もう一度帰ってこさせる」という点において彼らが実行し続けた「シリーズ物」は有効であった。

 

全員が違うキャラ

Funk Volumeが面白かった理由は「多様性」である。大体「クルー」と言えば理念的な部分が合致していたり、全員がマッチした雰囲気を漂わせている。しかしFunk Volumeは「ラップが上手い」ということ以外は、かなりガチャガチャであった。ウィードをやらず、ウィードやドラッグを批判するHopsin、逆にウィードがないと生きていけないポジティブ・ヴァイブスなDizzy Wright、30代で最年長だがパーティー・ドラッグなどについてもラップしたりするハイテンションなJarren Benton、全員が楽曲を頻繁に出しているなか一枚もアルバムをリリースしなかったSwiZzz、「ラップができる」以外の共通点がほぼなかったのだ。むしろ解散に繋がる要素でもあったのだが、逆に「ブランディング」らしいブランディングをしていなかったのが面白く、レーベルのツアーに見に来る客層も非常に幅広かったようだ。

(ちなみにPlayatunerのBest of 2017ではDizzy WrightとJarren Bentonが入っている)

 

 

解散への道

Hopsinの楽曲が2曲ゴールド認定されたり、ツアーやマーチャンダイズで億単位の売上をあげるようになったインディペンデント・レーベルであるが、2016年に突如として解散が発表された。直接的な原因はビジネスサイドを担っていたDameとアーティストとして「代表」をやっていたHopsinの金銭的な仲違いである。金銭的な不一致が解散へを追いやったが、本質的な原因は「コミュニケーション不足」であろう。

これは以前紹介したエピソードでもあるが、Hopsinは最初からDameを「信頼」していたため、金銭的な契約を確認していなかったのだ。また、Dameもその件について突っ込まれないから「確認しなくても大丈夫だ」という流れになっていた。しかし「信頼」というのは、自分が確認する責任を放棄することではない。むしろ長期的に信頼しているからこそ、確認作業が重要になってくるのだ。ついにHopsinは「マネージャーとしてのDameって実際にどんな仕事してて、どのぐらい貰ってるんだろ?」と気になって問いただしたときには既に懐疑心が勝っている状態であった。実際にパーセント的には業界のスタンダードに近い割合であったが、その後も「敵」としてみなしてしまったため、引き続きお互いコミュニケーションがないまま独自で判断/行動をし続けたことが伝わってくる。

また、コミュニケーション不足というものは、先程メリットとして書いたメンバーの理念の不一致の裏返しでもある。彼らはアルバムを出す度に最低1曲は他のメンバーをフィーチャリングをしていたが、実際に一緒にスタジオに入り、一緒に作業をしたのは数年間で4回ほどしかなかったらしい。このことからも、普段どれだけコミュニケーションを取っていなかったかが伝わってくる。

TDEのように、最初の4人が「兄弟」として同じ環境で育ったのであれば、そのようなコミュニケーション不足の心配は低いと思うが、違う環境で育った人たちが全く違う価値観を持っているのは当たり前なのである。違う価値観を持っていることは当たり前なのに、それを時間をかけて建設的に理解するのではなく、「◯◯のせいだ」や「私が正しい/お前は間違えている」という「勝敗」を決める議論になってしまったとき、問題は本質的な解決には向かわなくなる。その「価値観の理解」を育む時間をかけずに、エゴと知名度と「成功」が先行してしまったのだろう。

メンバーのJarren Bentonが解散後のラップで語ったこのフレーズが非常に印象に残る。

Fuck Funk Volume。俺らほどイケてるレーベルはなかったのに解散しやがった

一番最後に入ったメンバーのJarren Bentonにとっては、気がついたら解散していたという状況に近かったのだ。これからもいかに情報が共有されていなかったかが伝わってくる。レーベルと言っても結局は売上以外の部分は全員が「個人的」だったのだ。

 

まとめ

インディペンデント・レーベルがはじまり、成功し、解散した経緯を紹介した。メジャーレーベルでは倒産でないかぎり、このような「解散」という形はほぼありえないだろう。「インディペンデント」というのはもちろん独自で道を切り開くことでもあるが、その次のフェーズにくる「組織を運営する」ということでもあるのだ。最初にファンを獲得するときには、コンテンツ以上に重要なものはなく、彼らもコンテンツを非常に速いペースでリリースする手法で知名度をあげていった。しかしその次のフェーズでは、コンテンツと人気だけではなく「組織」として運営していくことが重要になってくるのだろう。実際にこの事例について考えているなかで、自分にとっても学びとなる部分も多かった。

そんなこんなで、アーティストの皆さんの自主レーベルでもワクワクを感じながらも、たまには絶望したり全く注目されなかったりするだろう。しかし「長続きさせる」というのはそれだけのチャンスが今後もあるということなのかもしれない。自主レーベル、是非やりたいものだ。

水面下で帝国を築き上げるアーティストたち。「自分で全部やる」というパワーと美学

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