Staff Blog:ヒップホップと差別問題と教育について考える【今だからこそ】

 

 

 

大統領のスタント的な発言

に感化されたからか、過激な人種差別行動を起こす人たちが目に見える形で増えている。もちろん人の思想というものは、長年の経験に基いて培われるものであり、人種差別はトランプのせいで始まったことではないが、近年表立って目立つようになったと感じる。見た目や宗教観などが自分と違うというだけで、「この国から出て行け」と酷い言葉を投げかけられた人たちが多数いる。先日のシャーロッツビルでの白人至上主義者のデモ/暴動のような問題が毎日のように報道されるなか、私たちは何をすればいいのだろうか?非常に難しい問題である。そのような人種差別行動を起こす人たちを言葉や暴力で迎え撃つことによって、一時的に世の中が「良くなった」と感じる人もいるだろう。しかしそれは本質的な問題解決に繋がるのだろうか?

なおこの記事は差別問題の解決などに対しての私の個人的な考え/意見を全面的に押し出すものであり、まとまらない考えを書き殴ったものなので、「スタッフブログ」とさせて頂く。(ちなみに上記の動画が素晴らしいので、英語が理解できる方は是非見て頂きたい。)

 

問題解決プロセス

ヒップホップというジャンルは「みんなで楽しむ」という側面以外にも、常にカウンターカルチャー的な役割を持った文化であった。理不尽に立ち向かうPublic Enemyなどのアーティストの姿は、同じような不安を抱えている人々にとって希望であっただろう。そして彼らの思想に賛同をし、少しづつ耳を傾ける人が増えたのも事実であろう。例えば去年はYGがFDT(Fuck Donald Trump)をリリースし、反トランプのアンセムとなった。反トランプのヒップホップファンはあの曲のもとに一丸となった。YGの勇気と表現は賞賛に値するものであったと感じる。しかし実際に本質的な「問題解決」に繋がったのだろうか。

個人的にはプロテストソングというものは素晴らしいと思っている。同じように不安を感じている人々をエンパワーし、勇気を与える行為は非常に大きな価値となる。今まで声を殺して生きてきた人々に、声を出す勇気を与えるパワーがヒップホップ/ロックにはある。しかし問題解決の本質は、「エンパワーメントの先」にあるのではないだろうか?問題解決は

①疑問を持つ→②考える→③世に問題提議のメッセージを発信する→④問題解決方法を提示する→⑤行動を起こす

というプロセスになっていると感じる。いわゆるPDCAに近い考え方かもしれない。

2016年にリリースされたプロテスト曲を5曲厳選し、解説。

そのように考えると、音楽が得意とするのは③であろう。YGのFDTや、ケンドリックのGKMCとTPABは③の役割が社会的に強かった(TPABは④の役割もあるかもしれない)。ケンドリックの「DUCKWORTH.」などは、実話を伝えながらも④のような役割を果たしているのかもしれない。④は論理的な理由付け/根拠が必要となるので、リリックという分野で伝えるのは非常に難しい。③で問題の認知度が広まった後、④を考え、⑤を実行するのは人々の役割であり、時によっては政治家のような権力者の役割である。(実際に行動に起こしているかはさておき)そして人種差別のような、長年の経験によって固まった人の考えに基づく問題は、上記のプロセス的にも解決が最高難易度である。なぜなら人種差別主義者たちは、自分で差別をしている自覚があり、それが当然と思っているので、③を提示したところで聞く耳を持たなかったり、承知の上でやっていたりするからである。

 

考えの多様性?

人の考えを変えることは非常に難しい。そもそも人の考えを変えることが正しいのかどうか、という疑問点も出てくるだろう。それこそ「考え方の多様性」に基づくとしたら、違う考えを許容をするのが理想である。様々な文化で育った人々が集まるとき、「違う意見を持っていたとしても尊重する」という姿勢が理想だ。しかしそれは意見に至るまでに、様々な立場で「考えている」場合の話である。考えるという行為は少なからず論理的な理由付けを元に行われるものだ。論理的な理由付けを元に出された「意見/考え」というものは、「考え方の多様性」として成立する。その逆で、「考え」もせずに、「自分が正しい」と思い込み、他人を蔑むことが「差別」である。そのような行為は論理的に考えることを放棄した脳が生み出す産物であると捉えている。そしてその過激な思想を行動に起こし、人を蔑む暴力行為は「考え方」の多様性として成立しない。暴力で返す行為も同じである。

しかし人間は必ずしも生まれつき論理的に考えることができる生物とは限らない。思考停止し、「自分が正しい/他は劣等」と思い込むように教わった子供たちは、何かしら「巨大なインパクト」がない限り、そう思い込み続ける。その「巨大なインパクト」がヒップホップや音楽であったりする場合もある。その「巨大なインパクト」は受け手が若ければ若いほど、心に効果をもたらしやすく、逆に凝り固まった大人になるにつれ、影響が少なくなる。そして教わった思い込みがエクストリームになり、行動に移したパターンが今回のシャーロッツビルのデモであったり、KKKであったり、日常に存在するヘイトクライムなのであろう。そのような意味でも、差別問題の一番の問題は、このような問題を見て育った子供たちが、無意識にも非常に大きな影響を受けることである。

そのような問題が蔓延る世の中で、どのように向き合えばいいのだろうか?先程書いたように、人の考えを「変える」という行為は非常に難しく、生活をともにしていないと恐らく本質的な問題は解決されない。音楽で③の役割をしても、直ちに⑤の効果がもたらされるわけではない。そして、暴力や論理的ではない行為で返したとしても、「戦争」が起きるだけであり、争いやヘイト自体は止まらない。「数人の◯◯人種が差別してきたから、その人種全体を差別仕返す」という差別返し/ネガティブな一般化も同じくである。

 

教育の本質?

私が個人的に思いつくのが、やはり「教育」である。もしかしたらこれは私の個人的なエゴかもしれないが、必要なことは論理的に多面的に考えつつ、多様性を認める教育だと信じている。さまざまな考えやカルチャーがある世界では、見方によっては「正解」や「間違い」が簡単に変わる。それを論理的に判断し、理解をしようとする姿勢、そして許容する教育の大切さを噛みしめている。もちろん全てのことを許容するなんて、人間には到底無理なことだ。しかし何かしら嫌悪感を感じたとしても「あれ?なんで嫌悪感を感じているんだっけ?理由を洗い出してみよう」と考えるだけでも、他人を理不尽に攻撃することを避けられるのではないだろうか?このように論理的に考える教育は「価値の平均化」ではない。むしろ世界にごまんといる、自分と全く違う人たちとエンカウントしたときに、一旦自分の思考に疑問を持てるかどうかという「自分の価値観へのクリティカル・シンキング」なのだ。「全員違う」と理解した上で、この世の中に絶対的な「正解」が存在しないことを理解する。

非常に時間がかかる解決策かもしれないが、これが私が提示する④であり、後世にたいする私たちの「仕事」としての⑤なのかもしれない。「別に皆が建前で生きていけばいいじゃん」という解決方法もある意味正解の一つであるが、それはある程度人格が形成された大人の世界の話である。これでは幼少期から様々な人種と触れ合う地域の子供たちに苦悩を与えることになる可能性がある。

以前トランプが当選したとき、マックルモアがインスタグラムでこの「仕事」ついて語っていたのを思い出す。彼はインスタグラムにてこのように語った。

 

マックルモア:寝ている娘を見て、自分がコントロールできることとコントロールできないことがあると思い出した。自分の娘をどう育てるかは自分次第だ。娘に人種、宗教、性的嗜好、出生地など関係なしに人を愛することを教える。不公平に対して黙っているのは、迫害者に味方をすることだということも教える。トランプが彼女を育てるのではなく、彼女を育てるのは私だ。彼女の声と行動が世界を変えることもできるし、彼女がなりたいものになれるということも教える。自分には(彼女を育てるという)大きな「仕事」ができた。

 

私が上記にて書いたことに近いと感じる。もしかしたら、このような思想を子供たちに教えること自体が理不尽であり、それこそ私のエゴなのかもしれない。非常に長い道のりであるが、私が今現在思いつく④と⑤はこれである。(結婚の予定もなく子供もいない私が言っても説得力がないかもしれないが…!)

このような人種差別問題のニュースを見るたびに思い出すことがある。それはスター・ウォーズのヨーダの台詞である。

 

ヨーダ:「恐れ」は「怒り」に変わる。そして怒りは「憎しみ」に変わる。そして憎しみは苦しみに変わる。

 

理解できない事柄には「恐れ」という感情が生まれ、その「恐れ」がやがて「理由のない憎しみ」に変わるのだ。このシーンはスター・ウォーズのなかでも、特別に気に入っている台詞である。

世の中で起こっている問題について、私は何もできないと思っていた。しかしもし「仕事」があるとしたら、それは地道に上記のようなことをやっていくことなのかもしれない。もちろんこれは全て私の「個人的な意見」であり、どうにかこの考えをぶちまけてスッキリしたかったのが正直なところだ。そのため、いつもの記事と違い、「何言ってんだこいつ?」と思う方もいるだろう。しかしヒップホップ文化から恩恵を受けた者として、この考えを発信しないと後悔すると思ったので、「Staff Blog」として書かせて頂いた。音楽をやるにしても、音楽業界を促進させるにしても、やはり全ての本質は「教育」に通じていると私は感じる。

そんな音楽業界の問題も「教育」に通じているという旨を書いた記事は下記がオススメである。そして、Playatunerの新しい方向性に関しても特大な企画を進めているので、楽しみにして頂けると幸いだ。

アーティストとメディアとリスナーの関係について考える。Vic MensaとユーチューバーDJ Akademiksの確執からわかる「恐ろしさ」

ライター:渡邉航光 (Kaz Skellington)カリフォルニア州OC育ちのラッパー兼Playatuner代表。2015年にフジロック出演したumber session tribeのMCとしても活動をしている。

いいね!して、ちょっと「濃い」
ヒップホップ記事をチェック!